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豪雨災害でボランティアが体験した困難とは②

しかし、今できる事をしようとメンバーで話し合い、怪我をしている清水さんの代わりに、再び家の中に入り、土砂の中から書類や思い出の品を集めた。年賀状や家族のアルバム、書類などを、清水さんに手渡した。

ボランティアセンターの方に水の件で連絡をいれると、センターの担当者が来た。「二次災害の危険性があるので、これ以上の作業はできない」という結論に至った。

居間も土砂で埋まっていたままになっていた
居間も土砂で埋まっていたままになっていた

ゴミの集積所へ行った班が帰ってきた、「ものすごいゴミと臭いでした」と言葉少なく話す彼らを見るとその壮絶な光景に衝撃を受けている事が分かった。

時間は活動終了時刻の午後3時を回っていた。

「もっとできると思ったんですけど、本当にこれだけで申し訳ありません」とメンバーの一人が清水さんに頭を下げていた。何かしたくて現場に訪れたが、何もできなかったと感じてしまう私がいた。

「十分やってくれました、ありがとう」と清水さんは優しく言った。私はできる事なら、もう1日いや1週間滞在し活動を続けたかった。清水さんは、私の車のナンバーを指さして、「横浜から来たんけ、遠くからありがとう、気を付けて帰りや」と声をかけてくれた。私は、「また、来ますので、それまで体を大事にしてくださいね」と清水さんの手を握りながら言った。清水さんは、私たちを遠くになるまで見送ってくれた。

他のメンバーを載せて、ボランティアセンターに帰った。砂が舞い上がり、前を走る車が見えないほどの砂埃の中を、無言のまま走った。活動報告をする泥だらけの私たちを見たボランティアセンターの人たちは、「本当にお疲れ様でした」と労いの言葉をかけてくれた。そして、使った工具を洗おうとした私たちに、「いいから、長靴洗って。大変だったね」と苦しい時でも人に優しく接する彼らの温かさに触れた。

ホテルに帰りシャワーを浴びた。体を洗い泥を落としたが、鼻や口の中にあの泥の臭いがまだ残っていた。これからボランティアの力を必要としている人々がいる。その為に何ができるかを考えて行動しようと思った。

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