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司法が認めた沖縄戦の実態

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【司法が認めた沖縄戦の真実㉙】「恋の島」も戦場だった

【司法が認めた沖縄戦の真実㉙】「恋の島」も戦場だった

沖縄県今帰仁村にある古宇利島。ハート形の岩などがあり、恋の島として若者に人気がある。この恋の島も昔、戦場だった。裁判所が認めた資料から沖縄戦の実態を伝える29回目。(取材/文箭祥人) 「車で1周10分ほどの小さな島ですが、カフェやホテルが続々オープンしている人気のアイランド。アダムとイブに似た伝説が残り〝恋の島〟として...
女子青年団員は戦場に投げ出された【司法が認めた沖縄戦の実態㉘】

女子青年団員は戦場に投げ出された【司法が認めた沖縄戦の実態㉘】

銃後の守りのために結成された大日本婦人会と統合された沖縄の女子青年団。本土では銃後の守りだったが、沖縄では戦場、しかも最前線に放り込まれることになる。(取材/文箭祥人) 「兵隊のいるところに行って、畑仕事や飛行場作りで夜通し働きました」 原告の嘉数ノブさんは沖縄戦前を振り返って、こう陳述書に書いている。嘉数さんは沖縄県...
砲弾の破片が身体に突き刺さる【司法が認めた沖縄戦の実態㉗】

砲弾の破片が身体に突き刺さる【司法が認めた沖縄戦の実態㉗】

6月23日は沖縄で日本軍の組織的戦闘が終わった「慰霊の日」。「沖縄戦の終戦の日」とも言えるかもしれない。しかし戦争を生き延びた沖縄県民にとって戦争はけして終わってはいない。(文箭祥人) 「私の家族は兵隊のための炊き出しをしていました」 沖縄南部、南風原村神里(はえばるむらかみざと)。両親と姉と暮らしていた山田秋子さんは...
【司法が認めた沖縄戦の実態㉖】十・十空襲と日本兵による「追い出し」

【司法が認めた沖縄戦の実態㉖】十・十空襲と日本兵による「追い出し」

沖縄本島をアメリカ軍が空襲した「十・十空襲」。焼きだされた県民は隠れ場所を求めてさまよう。しかしそこで体験するのは日本兵による「追い出し」だった。それは県民の命を奪い、生き残った子供を孤児にした。写真は久志孤児院跡。(文/写真:文箭祥人) 十・十空襲 「外には大勢の大人がいて、『逃げなさい』という大声が飛び交っていまし...
【司法が認めた沖縄戦の実態㉕】独りぼっちになったツルちゃん

【司法が認めた沖縄戦の実態㉕】独りぼっちになったツルちゃん

最高裁判決が認めた陳述書から、沖縄戦の事実を描く連載。多くの子供が家族を失い独りぼっちになった。それが戦場となった地の現実だった。(写真/文:文箭祥人) 天秤棒の思い出を原告の金城ツル子さんは陳述書にこう記す。 「父が掘った芋の土を落とす手伝いをしました。帰りは天秤の片方に畑で収穫した農作物を入れて、もう片方に私が乗り...
【司法が認めた沖縄戦の実態㉔】一瞬にして孤児になった神谷さん

【司法が認めた沖縄戦の実態㉔】一瞬にして孤児になった神谷さん

77回目を数えた今年の「終戦の日」。それは日本政府が日本軍の降伏を求めたポツダム宣言の受託を内外に示した日だ。しかし激しい地上戦が行われて民間人に多くの犠牲を出した沖縄においては6月23日に日本軍による組織的な戦闘が終わっている。そしてその被害の救済は終わっていない。(文箭祥人) 「南風原(はえばる)の陸軍病院だったと...
【司法が認めた沖縄戦の実態㉓】全滅した一家の訴え

【司法が認めた沖縄戦の実態㉓】全滅した一家の訴え

沖縄戦の実態を裁判所が認めた記録から明らかにするこの連載。その記録とは、生き残った県民や犠牲者の遺族などが裁判所で陳述したものだ。しかし、沖縄戦では一家全滅してしまったため、「遺族」がいないケースもある。(文箭祥人) 「平和の礎」に刻まれた名前を読み上げる 6月23日は沖縄慰霊の日。多くの遺族らが「平和の礎」に刻銘され...
【司法が認めた沖縄戦の実体㉒】目の前に赤く日焼けしたアメリカ兵が立っていた

【司法が認めた沖縄戦の実体㉒】目の前に赤く日焼けしたアメリカ兵が立っていた

復帰50年を迎えた沖縄。戦後、なぜ沖縄は施政権の回復が遅れたのか?その疑問はなぜ、沖縄で地上戦が行われたのかという疑問にも直結する。InFactは引き続き愚直に沖縄戦の事実を書き留めていく。(取材、写真/文箭祥人) 沖縄戦当時、原告の大西正子さんは13歳。通っていた真和志村(現在の那覇市)の大道(だいどう)国民学校では...
【司法が認めた沖縄戦の実態㉑】アメリカ軍収容所の実態

【司法が認めた沖縄戦の実態㉑】アメリカ軍収容所の実態

沖縄で組織的な戦闘が終わる2か月余り前、世界遺産・今帰仁城跡で知られる村にアメリカ軍が現れる。それは戦闘の終わりを意味したが、住民の苦しみの終わりは意味しなかった。(文箭祥人) アメリカ軍は1945年4月1日、沖縄中部の西海岸に上陸し北上する。そして8日、今帰仁村に進軍した。 今帰仁村は沖縄本島北部から西に突き出た本部...
普天間飛行場

普天間基地の地に住んでいた家族は米軍の猛攻で死んでいった【司法が認めた沖縄戦の実態⑳】

返還が日米で合意されているアメリカ海兵隊の普天間飛行場。ここにはかつて部落があり人々が住んでいた。そしてそこでも悲劇は起きている。(文箭祥人) 冒頭の写真は現在の普天間飛行場。3000メートル級の滑走路を持つアメリカ海兵隊の航空基地だ。沖縄戦が始まる前、ここには神山や大山など12の部落があり、住民が暮らしていた。アメリ...
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