再び訪れたキーウは新田義貴には前回訪れた戦場とは異なる平穏な場所に見えた。しかし人々に話しかけると、そこはまだ戦場だった。(文/写真:新田義貴)
ヘルソンへ向かう夜行列車は21時33分発。2等寝台の切符は800フリブニャ、日本円でおよそ3000円だった。夜まで時間がたっぷりあるので、1年ぶりのキーウの町を取材することにした。まず、報道陣への対応を仕切るメディアセンターを訪ねた。去年はジャーナリストが多く宿泊していたホテルの2階に設けられていたがその後移転したという。
場所を調べて訪ねてみると雑居ビルの1階にひっそりとたたずんでいた。毎日いくつかの記者会見は行われているものの、ジャーナリストの姿は以前と比べて極めて少なく去年のような熱気はない。
去年3月は首都キーウをめぐる攻防戦が行われていたため多くのジャーナリストがこの町で取材していた。しかしいま戦線は東部や南部に移り、それに呼応するように報道陣もキーウを離れ前線に移動したようだ。特に何もする必要も無く、活気のないメディアセンターを後にして独立広場に向かった。ここは、ウクライナの人々にとって自由の象徴だ。行ってみると、今回の戦争で亡くなった人々を追悼する小さな国旗が無数に飾られていた。立ち止まって祈りを捧げる人も少なくないが、そのそばでぬいぐるみを着た若者たちが笑顔で観光客向けの写真撮影の商売をしている。
去年はロシア軍がキーウまで15キロの距離まで迫る中、町には人の姿はなくほとんどの店が閉まっていた。至る所に市街戦に備えたバリケードが築かれ、キーウはさながら軍事要塞と化していた。それから1年3か月、多くの店が営業を再開し地下鉄やバスも平常通り運行していた。この国で戦争が行われているとは信じ難いほど町は日常を取り戻しているように見える。夏休みを迎えた町は買い物や散歩を楽しむ人々でごった返していた。そしてその表情は一様に明るく見える。ベンチに座っていた若い女性2人組に話を聞いてみた(上記写真)。キーウの大学で経済学を学ぶ学生だそうで、今日はショッピングに訪れたという。一見楽しそうに見える彼女たちだが、戦争について聞いてみると途端に表情がこわばった。
「自分たちの住むキーウの町は守られていますが、それは全て東部や南部の最前線で戦っている兵士たちのおかげです。一刻も早くこの戦争が終わりウクライナ全土に平和が戻ることを祈ります」
次に3人組の女性に声をかけた。ロシア軍占領下にあるウクライナ東部ルハンシク州から去年避難してきたという。故郷に残る家族や親戚に連絡を取ることもできず、いつ戻れるかも分からない不安な日々を過ごしていると言った。
人々の話に耳を傾けてみると、一見平和に見えるキーウの町にも様々な思いが渦巻いていることがわかる。通訳をしていたセルヘイはこう言った。
「みんな戦争のことを忘れたくてあえて町に繰り出して楽しいことをしようとする。ところがふとしたことでいまだ戦争が続いていることを思い出して複雑な気分になるんだ」
町中での取材を終え、セルヘイと共に21時にキーウ中央駅に着く。ここはウクライナ全土および海外の都市へ向かう多くの路線が行き交う交差点だ。駅は大きなスーツケースを持った人々でごった返していた。夏休みで帰省する人、戦闘地域だった故郷が解放され帰還する避難民。それぞれの思いを抱えて人々は旅へと向かう。
僕たちも11番線から出発するヘルソン行きの寝台列車に乗り込んだ。はるか遠い昔を思い出せる日本のブルートレインのような古めかしい列車だ。そのレトロ感と落ち着いた風情で旅情には事欠かない。2段ベッドの上で横になると早速消灯。窓から入る涼しい風に吹かれ、列車がゴトゴト走る小気味よい音を子守歌に眠りについた。
(つづく)