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社会( 23 )

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豪雨災害でボランティアが体験した困難とは②

豪雨災害でボランティアが体験した困難とは②

200人を超える犠牲者を出し、今も復旧作業が困難を極める豪雨災害。その現場にボランティアとして入ったカメラマンが見たものは・・・。通り一遍の取材からは見えてこない現場の苦境をリポートする。(加藤雅史 文/写真) 現場につくと、目を疑う光景が目に飛び込んできた。 裏山で発生した土砂崩れで、平屋の半分以上が埋め尽くされ屋根...
豪雨災害でボランティアが体験した困難とは①

豪雨災害でボランティアが体験した困難とは①

200人を超える犠牲者を出し、今も復旧作業が困難を極める豪雨災害。その現場にボランティアとして入ったカメラマンが見たものは・・・。通り一遍の取材からは見えてこない現場の苦境をリポートする。加藤雅史(文/写真) ブルーシートで覆われた瓦礫の中から発見されたのは行方不明者の遺体だろうか 女性が何か呼びかけている。遺族だろう...
2018年4月に行われた「政府に今年中の全被害者救出を再度求める 国民大集会」の様子(官邸HPより)

米朝関係の報道でマスコミ各社は政府に踊らされてないか

「正恩氏は拉致問題に関する日本との対話にオープンな姿勢を示した」 米朝首脳会談後の15日付で朝日新聞が報じた記事だ。これはトランプ大統領が安倍首相に電話で伝えた内容ということで、「安倍政権幹部」が語ったという。細かい表現や情報源の表記は違うが、各社とも、大筋で同じ内容を報じている。 これまで北朝鮮との対話を拒否してきた...
拉致の記憶~蓮池兄がたどる拉致事件②

拉致の記憶~蓮池兄がたどる拉致事件②

忽然と消えた弟。弟には付き合っていた女性がおり、その女性も一緒に姿を消したという。直ぐに戻ってくるだろうとの思いが、時が経つについて焦燥感に変わってきた。そして警察への相談…。被害者家族として救出活動を担った蓮池透が、拉致問題の知られざる記憶を綴る連載の第二弾。 ●捜索願い 1978年7月31日に薫ら2人が...
思い出の家族スキー。左から、母、妹、父、筆者、薫氏。赤倉温泉スキー場にて1975年

拉致の記憶~蓮池兄がたどる拉致事件

●弟がいなくなった 弟の薫がいなくなったのは、忘れもしない1978年7月31日のことである。弟は東京の中央大学法学部の3年生で、夏休みを利用して、新潟県柏崎市の実家に10日間程度の予定で帰省していた最中だった。私はそのときは東京電力株式会社福島第一原子力発電所に勤務していたので、柏崎では弟に会っていない。 私たちは3人...
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