2019年4月27日から5月3日にかけて私、立岩陽一郎は訪朝した。これは拓殖大学海外事情研究所の求めに応じてその時の体験をまとめたもので、「海外事情」の2019年9・10月号に掲載された。今回、同研究所の理解を得てその内容をここに掲載させて頂く。(立岩陽一郎)
平壌の夜の会話
「日本人にはウリナラで今起きている変化というのは、見えてないんだと思うんですよ」
そう話したのは、朝鮮対外文化交流協会(以後、対文協)の幹部。日朝関係を長く見続けてきた政府機関の男性職員だ。ウリナラとは朝鮮語で「私たちの国」という意味だ。彼はそう言って私の顔を見た。2019年5月2日、翌日に帰国を控えた晩の平壌市内のホテルのバーだ。
「ITへの力の入れようなどは私も今回知ることができました。こうした分野は更に強化されるということですか?」
「アイティィ・・・」など全く興味の無いという感じでそう口にした年配の幹部は、それでも、「ええ、我が国の力の入れようは凄いですよ」と言葉をつないだ。
「そうすると、かなり開放的な政策になるのでしょうか?」
そう尋ねると、幹部は笑いながら、
「ウリナラはいつでも開放的ですよ。開放的でないのは日本じゃないですか」
と言った。
私は苦笑いをして彼の表情をうかがった。すると、彼は真剣な表情で私の顔を見て何かを言おうとした。
2度目の訪朝と平壌空港の状況
私が平壌入りしたのはその幹部との会話の1週間前。北京から高麗航空のツポレフに乗った。1年ぶり二度目の訪朝だ。最初の訪朝となった2018年は板門店での南北首脳会談が行われた直後だった。その後、二度にわたる米朝首脳会談、中国、ロシアへの訪問など、金正恩委員長は閉ざされた国から国際社会へ着実にその登場回数を増やしている。ロシアでは地元マスコミの取材にも応じている。
それは金正恩委員長のどのような考えを反映しているのか?今回の訪朝でその一部でも垣間見たいと思っていた。
高麗航空のCAが美人揃いだというのはよく言われる話だ。だが、あまりフレンドリーではなく、素っ気ない感じとも言われる。最初の訪朝時の私の印象もそうだった。客と話すことを避けていたという印象も有った。
ところが、今回の機内では様子が少し違った。離着陸のとき、たまたまCAの1人が私と向かい合って座った。せっかくなので、隣にいた在日朝鮮人の同行者に通訳を頼み、離陸時から早々に話しかけてみると、にこやかな表情で対応してくれた。
どうやって高麗航空のCAになったのだろうか?尋ねてみると、「大学を卒業して高麗航空に入り、それからCAの専門学校に通いました」との答えだった。誰でもなれる、特別な資格や身分などは無いということだろうか。
ただ、CAの仕事はどうかと尋ねると、「皆様のために尽くすことができて、とても光栄です」という、これはいかにもといった感じの回答だった。
CAと会話をしていたのは私だけではなかった。食事やお茶のサービスのとき、あるいはトイレに立つときなど、いろいろな乗客がCAに話しかけ、彼女たちもそれに答えていた。それは1年前には見られなかった姿というのが印象だ。
これをCAの属人性や高麗航空という一組織の意識の変化と見た方が良いのだろうか?当然、その答えを私は持ち合わせていないが、そう考えるのはこの国では難しい気もする。この国では、いろいろな職場や生活の場で、その時々の国の政策を反映した思想教育が行われている。外国人乗客に対してCAがフレンドリーになったという対応の変化は、この国の変化を反映させているとは考えられないだろうか?
このCAの雰囲気は平壌空港に着いても同じだった。飛行機からターミナルビルに入ってすぐのところに、空港職員の女性が2人立っていた。私と目が合うと、2人とも「アンニョンハシムニカ」とにこやかに挨拶してくれた。これも去年にはなかったことだ。
入国審査でも、厳しいチェックはなく、若い女性入国審査官が私のパスポートをざっと見ると、柔和な顔で通してくれた。ただ、これは正直言うと、去年も同じだった。確実に違いを感じたのは最後の税関検査だった。去年は衣類の数まで報告させられチェックされたが、今回はほぼ素通り状態だった。去年はスマホに入っている画像のチェックが行われたが、今年はスマホこそ提出を求められたものの、結局、スマホの中のチェックは行われず直ぐに返却された。
勿論、対文協の出迎えが有るので税関当局もそれを考慮したとは考えられる。しかし、対文協の出迎えは常に行われるものかとも思う。去年の訪朝時も対文協の出迎えを受けている。空港での対応マニュアルは変更されていないものの、実際の運用でかなり簡素化されているということではないだろうか。
ホテルで始まったWi-Fiサービス
空港を出て対文協の用意した車でホテルに向かった。ホテルは「プドンガン(普通江)ホテル」で去年と同じだった。平壌で外国人が宿泊するホテルと言えばコリョ(高麗)ホテルが有名だが、それと同格のホテルがいくつかできているということで、プドンガンホテルはその一つだという。
ホテルに着いてすぐに目に入ったのは、「Wi-Fi」の文字だった。フロントデスクに大きく掲示されている。これは去年はなかった。新たにWi-Fiサービスが始まったということなのか?早速、フロントでWi-Fiサービスを使いたいと頼んでみた。
やり方は、まず、どのくらい接続したいか希望時間をフロントに伝える。10分間で1.4米ドルだという。私は試しにやってみたいだけだったので、最短の10分間で申し込んだ。
次に、接続したい端末(私の場合は自分のスマホ)をフロントに渡す。それにIDやパスワードを打ち込むのだが、フロントのスタッフがやる作業になっており、ID、パスワードはこちらに教えてくれない。そしてようやくスマホを返される。
こうして申し込んだホテルのWi-Fi経由で、いったい何につながるだろうか。さっそく試してみたが、まず、グーグルはつながらない。これは中国も同じだが、使用が規制されているからだ。面白いことに、直ぐにヤフーニュースが入ってきた。次々と記事が入ってくる。
LINEも使えそうだ。日刊ゲンダイの私のコラムの担当者にメッセージを送ってみた。すると、「おー、平壌で繋がるとは!」とのメッセージが届き、その直後、10分の接続時間が終わった。
勿論、このホテルの宿泊客は外国人だ。だから外国人限定のサービスということだろう。しかし、限定的にではあるにせよ、Wi-Fiが使えるようになったことは、この国の変化の1つであり、金正恩委員長の意向が反映された動きとみて良いだろう。逆に、意向無くしてWi-Fiサービスなど始めることは不可能だろう。
もっとも、スマホ的な外見の携帯電話は多くの平壌市民が利用している。それは去年もそうだった。市民はいたるところで写真をとり、携帯で話をしている。お洒落な恰好をした女性が「スマホ」を耳に当てて歩く姿は平壌でも珍しい光景とは言えない。
では、平壌市民が使っている「スマホ」は、実際のどのような機能を持っているのか?
私を出迎えてくれた対文協は去年も対応してくれた日本局員の2人で、ともに「スマホ」を時折使っていた。その1人に、どのような機能なのか尋ねてみた。
──スマホでメールのやり取りに使ってるんですか?
「ええ、メールにも使いますよ」
──他には何に使うのですか?
「もちろん電話に使いますし、写真を撮ったり、辞書機能を使ったり……。あと、ゲームもあります。私はやりませんけど」
──いろいろなことをスマホで検索して調べたりもしますか?
「検索?」
この「検索」との言葉に首を傾げた。なるほど、そうか……と私は思った。恐らくこの国では、政府機関の職員と言えどもインターネットへの接続はできないのではないか。メールの送受信についてはどうやら、対文協の組織内向けのイントラネットを使っているらしい。
つまりスマートフォンと言っても、私たちが言うところのそれとは違うということだろう。ただ、こうも言った。
「労働新聞のアプリもありますよ。労働新聞や朝鮮中央放送のニュースが更新されると、これで読めます。私は紙で労働新聞を読みますが、子供たちはアプリで見るようです」
平壌の「スマホ」はどこまでその機能を持つのか。それも注目したい。
テソン百貨店
訪朝に際して窓口である在日本朝鮮人総連合会(以後、総連)には、テソン百貨店を見たいとの希望を伝えていた。開業直前に、金正恩・朝鮮労働党委員長が視察したことが広く報じられた。しかし金正恩委員長が視察した際に公開されたのはスチール写真であり、それを見ただけでは店内の様子はよくわからない。
どのようなデパートなのか? 何を売っているのか? どんな客がどのくらいいるのか?
その辺を確認してみたかった。
到着の翌日、テソン百貨店に行くことが決まっていた。行ってみると、ソウルにあってもおかしくないモダンな外壁の建物だった。多くの客がやってきては、次々と中に吸い込まれていく。
私も店内に入り、エスカレーターに乗って、まず2階に上がった。そこは衣料品の売り場で、日本のデパートとよく似た雰囲気だった。紳士服、女性用衣料品、子供服などが各コーナーに分かれて売られていた。
3階には高級衣料品の売り場があり、ヨーロッパの有名ブランドの服などが並んでいた。欧米や日本の高級ブランド化粧品が置かれているスペースもあった。
落ち着いた雰囲気の中、家族連れやカップルの客が店員をつかまえては楽しそうに話をしている。対文協に、「ちゃんとお客さんが来てるんだね」と言うと少しむっとして見せて、「また、立岩さん、そんなことを言って。建物もハリボテじゃなくて、お客さんもちゃんと来ていますし、物も売ってるじゃないですか。どうして日本人はそういう風にしか見れないんですかね。僕は悲しいです」と言って嘆く表情を見せた。
最上階はフードコートになっていて、何組かのカップルと家族連れが食事をしていた。ランチタイムではなかったからかもしれないが、比較的空いている感じだった。しかし1階の食料品や生活雑貨の売り場は多くの人でごった返していた。日本のデパート地下のような試食コーナーはない。それでも多くの客が調味料、食材、お菓子、飲み物、洗剤などを手にとっては気に入った物をレジに持っていっていた。中国から入ってきているのか、日本のビールもアサヒ、サッポロ、キリンが揃っていた。私も何か買っていこうと思ったが、レジの前に長蛇の列ができており、かなり待たされそうだったので断念した。
店員の女性に話をきいた。
──かなりお客さんが多いようですが、今日は特別な日ですか?
「毎日、多くの方がお見えになっています」
──着飾っているお客さんが結構いるようですが、やはり市民の皆さんにとってデパートは特別な場所なのでしょうか?
「皆さん、お洒落をして来られていますし、楽しんでいただければと思っています」
それを訳してくれた対文協の担当者は、「別に、ここは特別なところではありません」と私にくぎを刺すことを忘れなかった。ただ、正直な印象を言えば、やはりテソン百貨店は、この国の中でもきわだって特別な場所である。それは客の雰囲気から感じた。
この国の国民で首都平壌に住めるということは一種の特権だと説明される。しかし、その平壌市内でも、私など外国人を見た人々の反応は、ぎこちないものだ。一瞬だが動揺している様が見て取れる。外国人にあまり慣れていないのだろうし、また、外国人に関わり合うことで不利益を被るのではないかという怖れがあるのかもしれない。
しかし、このテソン百貨店の客たちは、私や同行した日本人を見ても、まったく動じる様子がなかった。特に関心も示す風もなく、こちらを見ることも避けることも一切なかった。自然体だった。つまり、国民のうちでも特別な平壌市民の中で、さらに特権的な人たち(と言うと、対文協は否定するだろうが)、つまり外国人を見ても驚かず、世界的な高級ブランド品を買えるだけの経済力を持つ富裕層が確実に存在し、このデパートの客となっているということだろう。
客の多くがタクシーでテソン百貨店に乗りつけていたことにも、そうした層が一定程度存在していることをうかがわせた。
去年もタクシーはかなり走っていたが、実はあまり利用者はいないという印象も受けていた。当然とも言えるのは、公共交通機関が格安だからだ。地下鉄もバスも路面電車もすべて、どこまで乗っても運賃は5ウォンですむ。5ウォンは、公定レートでは5円になるが、仮に実際のレートが適用されれば1円にも満たないだろう。つまり、限りなく無料に近いということだ。
タクシーの値段の詳しい状況はわからなかったが(対文協はこういう細かい数字を開示することには消極的な面が多い)、当然、それはバスとは桁違いの高額な乗車賃となるだろう。そのタクシーに乗ってデパートに来る層が一定程度生まれているということは、その実態がどうであれ、金正恩委員長の目指す方向性を示唆しているようにも思える。
(続く)
取材・文・写真:立岩陽一郎