平和・安全保障【司法が認めた沖縄戦の実態⑮】繰り返される日本兵の「出ていけ」「出ていけ」。沖縄戦の住民の言葉に当然の様に出てくるのがこの日本兵の言葉だ。日本軍は自宅を失って壕などに隠れている住民を守るどころか、「出ていけ」の一言で追い出した。最高裁が認めた住民の陳述書から見えてくるのは、その日本軍の言葉が沖縄戦での住民の被害を大きくした事実だ。(文箭祥人) 1945年5月末、当時3歳と6か月だ...
平和・安全保障【司法が認めた沖縄戦の実態⑭】忘れられない壕の臭い6月23日、沖縄は「慰霊の日」を迎える。1945年のその日、沖縄で日本軍による組織的な戦闘が終わった。第二次世界大戦において、日本固有の領土の中で唯一となる地上戦を経験した沖縄。その苦しみは今も続いている。この連載は、その記録だ。(文箭祥人) 「梅雨時になると、避難していた壕のカビくさい臭いを思い出すので、つらいです」...
平和・安全保障【司法が認めた沖縄戦の実態⑫】日本兵に追い出されて直ぐに砲弾がさく裂 母は即死最高裁判所が記録として認めた沖縄戦の生存者達の陳述書。そこには、日本軍によって避難先を追い出されて死亡する沖縄県民の姿が記されている。そして戦後も終わらない苦しみも。(写真:立岩陽一郎/取材・文:文箭祥人) 「父は日本軍から追われる身になりました」 原告の當眞嗣文さんは陳述書にこう記している。父の嗣全さんは軍との約束を...
平和・安全保障悲劇は宮古島でも【司法が認めた沖縄戦の実態⑩】沖縄のリゾート地、宮古島。観光客が降り立つ宮古空港。この空港は、沖縄戦当時、日本海軍の飛行場だった。宮古島には、ほかに2つの陸軍飛行場があった。太平洋戦争末期、日本軍の敗北が始まり、日本軍は「帝国」を防衛するため沖縄県を重視するようになり、平坦な地形である宮古島に軍用飛行場建設を計画し、人口5万2千人の宮古島に、3万の...
平和・安全保障【司法が認めた沖縄戦の実態】⑪ 住民被害を拡げた日本軍の南部移動沖縄の住民は日本軍の行動に伴う形で戦場を逃げまどう。そして、その結果、住民の被害を拡げる。最高裁判所が認めた住民の陳述書からたどる沖縄戦の11回目は、日本軍とともに南部に逃げた住民の悲劇。(文箭祥人) 2019年に火災で延焼した世界遺産の首里城。国内外から多くの観光客が訪れる沖縄の文化財だ。沖縄戦のとき、その地下深くに...