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【司法が認めた沖縄戦の実態⑯】終戦の日、弁護団長が語った沖縄戦と裁判

【司法が認めた沖縄戦の実態⑯】終戦の日、弁護団長が語った沖縄戦と裁判

沖縄戦での被害救済を求める原告の訴えは認められなかったが、原告の訴える被害の実態は認められた。その沖縄戦から76年目となる終戦の日に、この裁判を弁護団長が振り返った。(文箭祥人)

2021年の8月15日。終戦の日、政府主催の全国戦没者追悼式で菅義偉首相が式辞を述べた。

「今、すべての御霊の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます」

厚生労働省社会援護局援護企画課に沖縄戦で亡くなった住民はこの追悼式で追悼されるのか問うと、次のように遠回しに回答した。

「昭和57年(1982年)の閣議決定で先の大戦で亡くなられた方を追悼するのであって、排除されない」

沖縄戦被害国賠訴訟の法廷で被告である国はこう主張した。

「1947年国家賠償法施行前においては、国が住民に対して損害賠償責任を負うことはない」

国は沖縄戦で亡くなった住民に対して追悼式で追悼する一方、法廷で賠償しないと主張した。

これまでの15回の連載でこの沖縄戦被害国賠訴訟の原告の陳述書を取り上げてきたが、今回は弁護団長として裁判をたたかってきた瑞慶山茂弁護士のインタビューを交えて、この裁判を考える。

この裁判の重大な争点は、国は住民被害の責任を負うのかどうかだ。

最初に、連載を振り返りたい。

「日本軍に壕から追い出された」

「軍の命令により『集団自決』が決行された」

こう原告は陳述書に書く。

内間善芳さんは証言する。

「日本兵が私たちを安全な壕から追いやり、危険な戦場のただ中に放り出した。家族を死なせたのは国です」(連載③)。

他に何人もの原告が軍の壕追い出しによる被害を証言する(連載④、⑤、⑫、⑬、⑮)。

さらに金城恵美子さんは語る。

「軍の命令により住民の『集団自決』が決行され、10人家族のうち6人が亡くなりました」(連載①)。

大城安信さんも『集団自決』を語る(連載⑧)。

こうした日本軍による残虐非道な行為によって原告が被害を受けた。その責任は国にあるとして、原告は国に対して謝罪と補償を求めた。

法廷で被告である国は冒頭に記した主張を述べた。

「1947年に国家賠償法が施行されたが、それ以前においては、国家の権力的作用に係る行為から生じた損害については、国が損害賠償責任を負うことはなかった」

この考えを<国家無答責の法理>と呼ぶ。沖縄戦は国家賠償法がなかった時代の戦争で、国が行った行為によって住民が被害をうけたとしても、国に責任はない、という考えだ。今では通じない理屈だ。

これに対して、原告側は次のように主張した。

「日本軍兵士が行った残虐非道な行為で住民が被害を受けた。その責任は兵士にとどまらず、使用者の立場にある国にも及ぶ。当時国賠法はなかったが、すでに施行されていた民法で、使用者責任が定められている」

そして、国に責任があるのかどうか、控訴審で判決が下された。

裁判所はまず、原告の被害について事実認定し、さらに戦争PTSDについても被害事実を認めた。最大の争点である国の責任については、国が主張する<国家無答責の法理>を認め、国に責任はないとした。残虐非道な行為を犯した兵士に責任があるが、その責任を使用者である国まで負うとなると、それは<国家無答責の法理>に反することになる。だから国に責任はなく、ただ兵士が個人責任を負うしかないとした。

瑞慶山茂弁護士は次のように語気を強める。

「<国家無答責の法理>をコンクリートで固めたように、そもそもの前提にしていて、戦前戦中の感覚が残っている」

さらに指摘する。

「<国家無答責の法理>を肯定すれば、国が国民にどんなことをしても責任を取ることがなく、なにをやっても構わないとなる。そうすると、明治憲法下でも認められていた生命・身体・自由を保障する基本的人権に反する」

国の責任は認められなかったものの、原告の被害事実については認められた。これに対して、瑞慶山弁護士は次のように述べる。

「事実認定はその限りにおいて重要であり、積極的に評価できる。一部に否定する論調がある『集団自決』の被害も認められ、重みのある判決だ。戦争PTSDの認定は日本で初めてのことで、重要な意味がある」

裁判の過程で、被害の実態に向き合おうとしない国の姿勢がみられた。

「原告らは被害の事実を立証するため尋問を申し出るが、本件は法律判断のみで判断が可能である」

こう述べて、原告の尋問を拒否した。

さらに国は次のように主張した。

「そもそも国に沖縄戦被害の調査を行う義務自体が認められない」

司法のあり様にも問題があると瑞慶山弁護士は指摘した。最高裁はA4一枚の決定書を送付し、そこには次のことが書かれていた。

「本件上告を棄却する。本件を上告審として受理しない」

最高裁は審議しなかったのだ。瑞慶山弁護士はこう語った。

「戦争損害について<国家無答責の法理>が及ぶのか否か、最高裁は未だ態度を明確にしていない。国の戦争責任を不問にする従属的な姿勢だ」

結局、裁判は最高裁では審議されず、控訴審判決が確定した。

瑞慶山弁護士は立法府、国会に目を向ける。

民間人戦争被害者に対する法律は存在しない。一方、軍人軍属らに対する援護法は1953年施行された。正式名称は戦傷病者戦没者遺族等援護法。

「軍人軍属等の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し、国家補償の精神に基き、軍人軍属等であつた者又はこれらの者の遺族を援護することを目的とする」

国との雇用関係があった軍人軍属らは援護の対象とされ、そうでない一般民間人は援護の対象から外された。あなたは民間人だから補償しません、という考えだ。いまだ、民間人の戦争犠牲者・負傷者は何らの補償も受けていない。

沖縄戦での援護法の運用は単純ではない。国との雇用類似関係がある一般住民を「戦闘参加者」扱いとして、「壕の提供」「食糧供出」「集団自決」など20項目に該当する住民被害者を援護法上の「戦闘参加者」とした。

そして日本に対する武力攻撃に備えとして国民保護法が2004年に施行される。瑞慶山弁護士はこの流れから、次の警告を発する。

「今も政府は国民を救わない理屈を貫いています」

2001年アメリカ同時多発テロ、日本近海での武装不審船の出現、北朝鮮による弾道ミサイル発射などが起こったことが契機となり、武力攻撃などにおいて、国民の生命・身体・財産を保護することなどを目的に国民保護法ができた。国は国民保護のための措置を実施する場合、国民に協力を要請することができる。損害補償の条文がある。そこには、国の要請に基づく協力により国民が死亡・負傷等した場合は、その損害を国が補償するとなっている。

瑞慶山弁護士は次の指摘を訴える。

「国に協力した国民が死亡、負傷したら、補償するとあるだけです。今、仮にミサイル攻撃を受けて住民が死亡・負傷しても補償する仕組みも論理もないのです。あるのは国に協力した住民への補償だけです。この考え方は沖縄戦での住民被害の補償のやり方と同じです」

こうして援護法と国民保護法をみると、通底するものに気付く。それは国との関係の有無だ。国と雇用・協力関係がある住民に対しては、国は援護や補償をし、そうでない住民には手を差し伸べない。

瑞慶山弁護士は訴える。

「被害を受けたすべての国民が補償されるように、国民保護法を改正すべきだ」

8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式は追悼名簿を作成せず行われ、沖縄では「平和の礎」に国籍や軍人、民間人を問わず沖縄戦で亡くなった人たちの氏名を刻み、追悼する。「平和の礎」を建立したのは大田昌秀元沖縄県知事。大田元知事は生前、瑞慶山弁護士にこう語ったという。

「沖縄戦住民被害の戦後補償はやり残した仕事だ。頼んだぞ!」

この言葉を受けた瑞慶山弁護士は次のように語る。

「これからは沖縄戦住民被害に対する立法化を進めて行きたい。それには、裁判所が認めた住民被害・戦争PTSDの事実が重要になります。立法化の根拠になるからです。この意味から、沖縄戦被害国賠訴訟は成功だったと考えています」
(つづく)

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