ワシントンDCのニュージアムの全景 |
●報道博物館「ニュージアム」が語る米国ジャーナリズム
ワシントンDCの中心部にニュージアム(Neuseum)と呼ばれる博物館がある。外壁に大きく言論の自由を象徴する「The First Amendment(合衆国憲法修正条項 1条)」と書かれたその施設は、米国の報道の歴史を伝えてくれる。ニュージアムとは、ニュース(news)と博物館(museum)をかけ合わせた名称で、訪れた人は、米国の新聞、通信、そしてラジオ・テレビといったマスメディアについて、その変遷を学ぶことができる。
冷戦時代に東西ベルリンを分け隔ててきた壁、監視塔の実物や米国以外の各国の新聞の一面が展示される中、特に人気なのが米国における報道の歴史を映画にしたコーナーである。その内容から、米国人が自国のマスメディアについてどう見ているかを読み取ることができる。
この映画によれば、米国における報道の発祥は、建国前にさかのぼることができるとされ、1775年の独立戦争前に、英国から新大陸に来た新聞記者達が本国の英国政府の命令に反して植民地の人々の側に立って取材をしたことが始まりだとされている。その後は、収容した女性を劣悪な環境で虐待し続けたニューヨークの医療施設に潜入して記事を書いた女性記者や、「こちらロンドン」の言葉で知られ、米国の対独戦参戦を促したと言われるCBSラジオのエドワード・マーロウ(Edward R. Murrow)による第二次大戦下のロンドンからのドイツ軍の空襲を伝える決死のリポートなどが説明されている。
映画に取り上げられている事例に共通するものは、何れも報道する人が自ら体験し、独自に調べた内容だという点である。こうした報道内容は、「investigative reporting」と呼ばれるもので、日本語では調査報道と訳されている。ニュージアムの映画は、米国がジャーナリズムの中で調査報道に最も価値を置いていることを教えてくれているのである。
●調査報道と当局報道
調査報道にこれほどの価値を見出す考え方は、世界を見渡して決して一般的なものではない。日本も含めて多くの国で、マスメディアの役割として広く認識、期待されているのは政府や自治体などが発表する内容を人々にいち早く伝えるもので、命名するならば「当局報道」と呼ぶべきものである。日本でマスメディアと記者クラブがほぼ同義語として使われるのは、それを反映したもので、官邸記者クラブ、国会記者クラブ、警視庁クラブ、司法クラブ、日銀クラブなど、その名称を耳にしたことのある人もいるだろう。日本の新聞・テレビの記者は、行政機関や公的な団体に設置された記者クラブに籍を置き、そこを通じて入手した情報をそれぞれの媒体で伝えることが期待されているのである。
米国にも記者クラブ的なものは存在するが、それがマスメディアの主な役割と認識されたことはない。巨大な権力が発信する情報を流すということではなく、その権力を監視することこそがマスメディアの存在意義であると考えられているのである。
1972年、ワシントン・ポスト紙の記事がニクソン大統領を失脚に追い込んだウォーターゲート事件は、調査報道の代表的な事例である。後にロバート・レッドフォード主演で「大統領の陰謀」として映画化され、今も米国のマスメディア界で語り継がれる偉業とされる。また,その前の年には、ベトナム戦争の実態を政府が自らまとめた機密文書「ペンタゴン・ペーパー」の存在がニューヨーク・タイムズ紙の報道によって明らかになり、全米を揺るがす大問題となった。この時ニクソン政権は、報道は国益を害するとして記事の差し止めを連邦裁判所に求めたが、ニューヨーク・タイムズ紙は一歩も退かずに裁判で争い,最後に勝訴している。
●縮小へ向かう米の調査報道
米国でこの 2つの歴史的な事象を知らないジャーナリストはいないと言っても過言ではないが、今日問題となっているのは、こうした米国ジャーナリズムの伝統に危機的な状況が押し寄せていることである。すなわち、米国のマスメディアから調査報道が急激に姿を消しているのである。ハーバード大学ケネディースクール・ショーレンスタイン・センターのアレックス・ジョーンズ(Alex Jones)センター長は、「問題は経済的なものだ。リスクの高い調査報道を可能にする信頼関係を築く為には報道機関の忍耐強い支援が必要とされる。優秀な調査報道記者を 1人雇うとなれば,報道機関は年に数件の記事のために、年間 25万ドル以上の給料と経費を払うことを覚悟しなければならない」と指摘している。
ジョーンズが指摘する「経済的なもの」とは、長引く景気の低迷から、広告料を財源とした新聞やテレビが活動の縮小を迫られている現状を指している。その結果、報道各社において、それまで優秀な記者を集めていた調査報道班が縮小、或いは解散させられる動きが出始めているのである。
調査報道は取材に取りかかって直ぐにその成果を世に伝えられる性質のものではない。何カ月、場合によっては 1年程度の長期にわたって取材を続けることが一般的で、経営の側から見れば効率的とは言い難い。その為、会社の事業規模を縮小せざるを得ない環境においては、調査報道に従事している記者が真っ先にやり玉に挙がることになる。
前述のウォーターゲート事件の取材で調査報道の象徴的な存在ともいえるワシントン・ポスト紙も例外ではない。調査報道班を率いているジェフ・リーン(Jeff Leen)は、「取材に時間がかかるものばかりやるのではなく、比較的早く記事にできるもの、短い期間で直ぐに記事にできるものなどを組み合わせて取材し、出来るだけ頻繁に記事を出せるようしている」と述べている。
自身も長く調査報道に携わってきたリーンでさえも、効率性を意識せざるを得ない現状を明かしているのである。ワシントン・ポスト紙の取り組みは非効率とのそしりを避けるための手立てだが、実際にはそう簡単に記事が出せるものではない。その結果、多くの報道機関で調査報道記者が居場所を失い、権力を監視するという米国社会がジャーナリズムに求めた役割が危機的状況に陥り始めているのである。続く
(この原稿は、南山大学アジア・太平洋研究センター報第8号(2013年6月)に掲載された論考を著者の承諾を得て転載したものです)
<<執筆者プロフィール>>
立岩陽一郎
NHK国際放送局記者
社会部などで調査報道に従事。2010年~2011年、米ワシントンDCにあるアメリカン大学に滞在し米国の調査報道について調査。
米国ジャーナリズムの新たな潮流~非営利化する調査報道②へ
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