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拉致問題は前進するか 蓮池透× 石丸次郎 対談 ⑤

アイ・アジア:事務局長はずいぶん早く解任されましたよね。それから副代表になって、その後追放される。
石丸:追放なんですか?
蓮池:除名です。彼らは退会と言ってますけど。退会するなんて私は言っていない。
私の場合、ほとんど何も知らないうちに急にぽっとスポットライトが当たったわけです。それまでは(拉致は)でっち上げだ、疑惑だと言われてたことが本当だったということになって、それまで無視して来たマスコミが、贖罪意識があったからか知りませんが、なんでもかんでも言ったことを書いてくれるようになったので、舞い上がっていたところもあったかもしれません。

アイ・アジア:舞い上がってたんですか? マスコミが用意したハイヤーが送り迎えしてましたね。
蓮池:舞い上がってましたよ、完全に。私の勘違いは甚だしかったです。ちょっと(拉致に対する関心の)波が引いてから、「ちょっと待てよ、こんなんでいいのかなぁ」と思ったら、もう救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)は「制裁だ制裁だ」と言っている。当時、ある記者の取材メモみたら、「家族会の右傾化」と書いてあったんですよ。それを見て、えっと思って、最初、怒ったんです。「何が右傾化なんですか」と訊いたら、「右傾化じゃないですか」と言われた。でも、(その記者は) それを報道するのかなと思ったら、「それはできません」だって。

石丸:メディアは記事にはできなかったはずです。当時家族会は「最強の圧力団体」でしたから。
蓮池:よく考えてみたら、家族会の言っていることは完全に右翼だなと思いました。小泉さんの再訪朝よりも制裁しろと言っていたんですから。

石丸:それは家族会の方針だったんですか?
蓮池:(会議開いて出した方針は)対話拒否でしたよ。私は制裁してどうなるのかなと思った。制裁なんて、もしやりたかったら、被害者を取り返してからやりゃいいじゃないか、何かだんだん変な方に行くなと思うようになった。それから家族会が分断されました。5人が帰ってきて。

石丸:家族会の中で?家族が帰って来た人と、そうでない人との間で、ということですか?
蓮池:「そりゃ、あんたのところは帰ってきているからそういう風に言えるんだ」と言われると、その後言葉が続かなくなっちゃう。

アイ・アジア:当時、その会議の場には大手メディアも入っていません。外でずっと待っているんですが、会議から出てくると、家族会の皆さんはそんな会話はなかったような顔で出てくるから分からない。
蓮池:一枚岩っていうのが合言葉でした。私は(家族会は)多様な意見の方がいいんじゃないか、って言ったら、「だめだ。制裁だ」。
石丸:「戦争やってでも、制裁やってでも取り返せ」という言葉が、家族会の中から出てきましたね。あれには、多くの人がひいたのではないでしょうか。
蓮池:私も言わされたことがある。ひく人はひきましたね。
石丸:家族会の人たちは、北朝鮮問題とか外交の専門家ではない。
蓮池:そこが大きな問題なんです。97年に家族会ができましたが、そこに入ってきたのが「救う会」なんですね。「救う会」には右翼活動をやっている人たちがいました。彼らがいろいろ助けてくれるわけです。署名を募ろうとかね。署名やるなら、紙がいる、ペンがいる、テーブルはいる、看板がいる。タスキもマイクもスピーカーも、全部「救う会」がやってくれるわけですよ。
石丸:家族は運動の素人ですからね。
蓮池:「救う会」の人たちはそういう運動のノウハウなんか、全部持っているわけです。それがだんだん各地にできてくるようになって。毎週のように佐藤勝巳さん※から講義のようなものがあるんです。そうすると家族はどんどん佐藤色に染められていきました。

※佐藤勝巳氏(さとうかつみ 1929-2013)共産党員として朝鮮問題に関わり、在日朝鮮人の北朝鮮帰還事業を支援。その後共産党を脱退し「現代コリア研究所」を設立。「救う会」会長を務めた。

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