では、奥下氏は具体的に大阪市の業務として何をしたのか。この問いも数度、原告代理人から投げかけられたが、大阪近代美術館の整備計画に関するもの、大阪城・西の丸庭園で行ったモーターバイクのイベントなど数件について繰り返すに留まった。
休職期間があるとはいえ、橋下市長の4年間、特別秘書をしていてこれだけしか答えることができなければ、大阪市がなぜ、彼を特別秘書として雇用したのかという疑問はますます大きくなったと言わざるを得ない。
奥下氏は11月に行われた大阪府知事、市長選挙の時を含めて、橋下氏に関連する選挙の度に6回も休職・退職を繰り返している。このことに関して、「休職・退職中は、特別秘書しかできない業務はどうしていたのか」という質問がなされた。
それに対して奥下氏は、「その仕事はしていた」と答えた。次に、「休職の前後で誰かに引継ぎをしていたのか」という問いに対しては、「していない」とした。退職した時でさえ、業務の引継ぎを行っていないと答えた。「引継ぎをしなくても誰も困らないのであれば特別秘書はいなくてもいいのではないか」という疑問が呈されたが、従来通り「特別秘書にしかできない仕事がある」とその必要性を訴えるに留まった。
奥下氏には、これまで大阪市の会議参加などの文書記録、成果物などはほとんどないとされている。記録として裁判所に提出されたのは、25通のメール( 参照記事)と、2014年以降の出勤簿だけ。出勤簿は、秘書課の職員が、裁判に訴えられたことや、議会から奥下氏の業務実態が不透明だとの指摘を受けたので、それから作ったと今回の裁判で証言している。
このことに対して重ねて質問されると、「文書での指示や報告はこれまでなかった。他の部署から相談を受けることはあるが、指示を直接したことはない。スケジュールは橋下市長から紙で毎週もらうが、毎週シュレッダーにかけている」と、奥下氏は答えた。
「電話で秘書課の職員と連絡を取ることもあった」と奥下氏が答えた。「それはどなたですか」と、原告側が質問をすると、奥下氏は名前を答えることはできたものの役職については答えられず、「肩書で仕事をしているわけではないので分からない」と述べた。
また奥下氏は、次期市長の吉村文洋氏には意中の人物がおり、その人物を特別秘書として採用する予定だと法廷で明らかにした。奥下氏は、橋下市長の辞職を持って、同時に退職金を受け取って退職する予定。
今回の証人尋問で、奥下氏が、大阪市の公務をほとんどやっていなかったのではないかという疑問がさらに膨らんだ。奥下氏が退職をした後も裁判は続く。奥下氏には、引き続き勤務実態について説明が求められる。
提訴した住民の代理人である阪口徳雄弁護士の話
「大阪市の仕事ではなく、維新の会の仕事をしていることが今回の尋問であらためて明らかになった。こういった人物を税金で特別秘書として雇うのは、市民の常識からかけ離れている」