2017年暮れ、筆者は報道番組の制作に携わっていたNHKを辞めて渡米。トランプ政権の誕生以来、その姿が顕著となっている米国の分断を内側から見ることが目的の1つだった。この分断は一時的な現象なのか?それとも戻りようのない1つの動きなのか?それは米国でとどまるものなのか?その筆者の目に最初に飛び込んだのは1枚のポスターだった。(ニュースのタネ米国駐在編集委員/江守純一郎)
正月休み。NYマンハッタン南部にあるチャイナタウンは相変わらずの賑わいを見せていた。けたたましい車のクラクションと商売人が張り上げる中国語の響き、英語の看板を圧倒する漢字の行列。この街はいつも混沌として、威勢がいい。
その街の一角で不思議なものを見つけた。キオスクに貼られたポスターだが、古代の壁画を模したデザインで戦場が描かれ、その下に、こんな言葉が記されている。
「良き垣根が良き隣人を作る (Good Fences Make Good Neighbors)」。
良き垣根、つまり整備された境界線は、お互いの所有権を明確にするから無用な紛争を予防できる。だから良き垣根があれば、隣人同士が良き関係でいられるのだ。そんな意味だろうか。
これは何なのか。まるで国境防衛の強化や移民制限を訴えるトランプ大統領の主張そのものだ。そうした政策を支持するポスターが、まさか中華系移民で溢れるチャイナタウンにまで入り込んだのだろうか。しかしよく眺めてみると、片隅に「アイ・ウェイウェイ」の名前が見つかった。
アイ・ウェイウェイは中国出身のアーティストで、ここ数年は移民・難民問題を扱った作品を発表してきた。いま彼は美術団体からの委嘱でニューヨークのあちこちに現代アート作品を設置しているそうで、「良き垣根が良き隣人を作る」は、このアート活動の名称だったのだ(1)。キオスクの壁にあったポスターも、その一つ。
想像するに、「良き垣根」は、アイ・ウェイウェイ一流の諷刺に違いない。それにしても市民の分断が論争を招いているアメリカで、これは何と挑戦的な名称だろう。はたしてセントラル・パークに設置されている別の作品を見に行ってみると、こちらはさらに挑戦的だった。
作品の題名は「金箔の檻 Gilded Cage(2) 」。金色に塗られた巨大な鳥籠。扉は開放されていて、中へ入ることができる。歩み入った観客は檻に閉じ込められた感覚を味わうが、中から空を見上げると、逆に周囲の摩天楼が鉄格子の向こうへ遠のいたようにも見える。それまで自由に歩いていたマンハッタンの街頭から、急に鉄格子で隔てられてしまう。これはマンハッタンの中心部に作り出された「国境線」なのだ。アメリカへの入国を拒否される難民たちにとって、ニューヨークの街角はこの眺めと同じく手の届かぬものに見えるだろう。
作品が置かれている場所にも、意味がある。作品の目の前を走る57通りにはマンハッタンでも最高額の住宅が並んでいて、「ビリオネアズ・ロウ(億万長者通り)」という呼び名がある(トランプ・タワーもすぐそばにある)。最低でも十数億円という住宅群は鉄格子で守られているわけではないけれど、多くの人にとってまさに垣根の向こう側にある。街角に鉄格子を持ち込んだアイ・ウェイウェイの作品は、市民と難民の間だけでなく、自由な街に浸透している様々な境界線の存在を観客に想起させる。
実は、「良き垣根が良き隣人を作る」はアメリカの詩人ロバート・フロストが書いた有名な詩の一節を取ったものだ。こんな詩だ。
農夫二人が、石垣で隔てられた二軒の家に住んでいる。古い石垣は、領地の境界線をめぐる争いを避けるために作られたらしい。しかし今の二人にいさかいはない。そのうえ石垣は日々雑草や天候のせいで少しずつ崩れてゆくので絶えず修復を行う必要があり、維持にはたいへんな手間がかかる。
そこで一人が隣人に切り出す。無用の垣根を修理するのに労力を注ぐような愚かなことはやめようじゃないか。しかし隣人はきっぱりと申し出を斥けて、かたくなに繰り返す。「良き垣根が良き隣人を作るのだ」(フロスト「垣根を直す」(3))。
どうやらアイ・ウェイウェイは反語的なユーモアとしてこの言葉を今回の活動に冠したらしい。しかしアメリカでは、同じ詩句が「垣根」を是とする立場からも繰り返し引用されてきた。例えば副大統領のマイク・ペンスは大統領選のさなかにこの詩を引いて、メキシコとの国境に新たな壁を築くというトランプの政策が正当なものだと主張している(4)。また保守派サイト「ブレイズ」は、「良き垣根が主権国家を作る」と述べてトランプの排外政策を支持しつづけた(5)。対するリベラルの側からは、この詩は垣根の維持に固執する頑迷さを批判しているとして、「トランプ氏はフロストを熟読せよ」という論説が書かれた(6)。
どちらの解釈が正しいのだろうか? 実は原文では、垣根が不要とも必要とも明確に言い切っていない。研究者の間でも意見が分かれていて、ある専門家は、フロストはこの詩で意図的に曖昧さを盛り込んだと指摘している(7)。
誰でも垣根の内側に引き下がっていたいと感じることはあるが、外に歩み出て隣人とつながりたいという自然な感情も抱く。「垣根」にはもともとそうした両義性がある。他者をどのように考えているかが垣根や境界線に対する態度に深く反映するがゆえに、垣根をめぐる議論は紛糾する。しかも分断線が生活の隅々に入り込んでいるとき、一つの「垣根」を前に人々が連帯するのはそれほど容易ではない。
垣根をめぐる議論は、ときに別の分断線を明るみに出す。「メキシコとの国境に壁を建設する」という政策が掲げられたとき多くのアメリカ市民が批判したが、同時に大手調査会社ビュー・リサーチ・センターの調査によると(8)、35%は支持を表明した。同じ調査で人種別に見れば、黒人やヒスパニックでは80%以上が反対しているが、白人では反対の割合が46%にまで下がってしまう。
人々が自由に行き来するマンハッタンの街頭に檻や垣根を出現させたアイ・ウェイウェイの作品群は、今のアメリカで「分断」を批判することの意外な困難さも可視化しているように思った。
1) Ai Weiwei: Good Fences Makes Good Neighbors (Public Art Fund)
2) おそらくこの作品名は、アメリカ合衆国史上の「金ぴか(金メッキ)時代 Gilded Age」を踏まえて命名されている。
3) Robert Frost, “Mending Wall”
4)Mike Pence on Mexican Border Wall: “Good Fences Make Good Neighbors” (RealClear Politics, Aug. 31, 2016)
5)”Good Fences Make Sovereign Nations” (The Blaze, Dec. 1, 2015)
6)”Donald Trump should read Robert Frost’s poem ‘Mending Wall’ ” (Los Angeles Times, July 15, 2016)
7)Kenneth D. Madsen and D. B. Ruderman, “Robert Frost’s ambivalence: Borders and boundaries in poetic and political discourse”, Political Geography, 55, 2016, pp. 82-91.
8)Most Americans continue to oppose U.S. border wall, doubt Mexico would pay for it (Pew Research Center, Feb. 24, 2017)