ウクライナに入って以後、「報道特集」などで現地の状況を伝えるフリーランス・ジャーナリストの新田義貴。ウクライナの人々の素顔を伝えつつ、キエフを目指す。(取材/写真:新田義貴)
3月9日朝。僕らはいよいよ首都キエフへ向かう。同行するのはウラディミールの友人の映画監督でキエフ在住のイヴァン、その友人でやはりキエフ在住のアンドレ。
午前10時、アンドレ所有のランドクルーザーに乗り込んだ。現地では何があってもおかしくないので荷物はなるべく身軽にする。とはいえ防弾ベストとヘルメットは戦場取材では必需品なので持参する。
車は出発したが、リヴィウの町を出るまでにあちらこちらに立ち寄っていく。どうやらキエフに行くとなると、援助物資や家族への届け物など友人からいろいろ頼まれるらしい。ようやく町を出ると、そこには地平線が遠くに見渡せる大平原がひたすら続く。まだ冬の終わりなので枯れた景色だが、春になれば緑に覆われさぞ美しい風景が広がるのだろう。
マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが戦争で引き裂かれる夫婦を演じた名画「ひまわり」はここウクライナで撮影されたと聞いたことがある。この国が豊穣な大地に根ざした農業国なのだということを改めて実感する。イヴァンは言う。
「私たちの国は農作物も畜産物もなんでも豊かです。それゆえ人々は心穏やかで他人の土地に攻め込もうなど考えもしません。戦争などしたくないのです。」
リヴィウからキエフまではおよそ600キロ。車で10時間の道のりだ。道路はきれいに舗装されているところもあれば、アスファルトが剥がれでこぼこの道も少なくない。そのうえ道中いたるところに検問所がある。少なくとも20ヶ所以上はあったと思われ、そのたびにプレスカードやパスポートの提示を求められる。
さらに今回は最短距離の北回りのルートは使えない。ロシア軍はキエフの北と東から包囲網を狭めつつあり、北側はすでに激戦地となっているからだ。そのため僕たちはあえて遠回りである南廻りのルートを選択せざるをえない。
こうした事情により想像以上に時間がかかってしまい、夕方には外出禁止令が適用される午後8時までにキエフには辿り着くのは不可能だとの結論に至った。結局安全のためキエフの100キロほど手前にあるビラ・ツェルクーバという小さな町に泊まることとなった。
イヴァンがしきりにスマートフォンでメッセージのやり取りと通話を繰り返した後、川沿いにある1軒の民家にたどり着いた。あたりはもう真っ暗だ。長旅の疲れと寒さでぐったりしていた僕たちを若い夫婦と犬が迎えてくれた。
驚いたことにイヴァンもアンドレも夫婦とは初対面だという。IT企業に勤めるというご主人は言う。
「国の危機の時にはお互い助け合うのは当然です。今夜はゆっくり休んでいってください。汚れた服は洗濯しますので出して下さい。」
聞けば、イヴァンがSNSの友人ネットワークでこの町に住む夫婦とつながり、急遽泊めてくれることになったという。温かいボルシチを頂いた。この「ウクライナの郷土料理」を味わいながら、戦闘の最前線ではないこうした見えないところに、ロシア軍の侵攻に対抗するウクライナの強さを見た思いがした。
翌朝6時、僕たちは夫婦に丁重にお礼を述べていよいよ戒厳令下のキエフへ向かった。
やがて道は高速道路に変わる。遠くから高層ビルのシルエットが迫ってくる。戦時下の首都に入る緊張を感じながら僕はカメラを回し続けた。
(つづく)