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【新田義貴のウクライナ取材報告①】戦乱のウクライナへ

【新田義貴のウクライナ取材報告①】戦乱のウクライナへ

ロシア軍が侵攻したウクライナにジャーナリストの新田義貴氏が入った。今、ウクライナで何が起きているのか。戦乱の地からのリポート。(写真/取材:新田義貴)

「報道の原点は現場にある」。

この言葉を改めて僕に深く考えさせる事件が起こった。2月24日、ウクライナにロシア軍が侵攻したというニュースが世界を駆け巡ったのだ。まさか21世紀のヨーロッパでこのような戦争が起きると誰が予想しただろうか。これは単なる地域紛争ではなく、冷戦後の世界秩序が変わる大きな歴史の転換点なのではないか。僕を含め多くの人がそう直感したに違いない。

僕は中東やアジアではある程度の取材経験があるものの、ウクライナは渡航したこともない未知の国だ。現地の言葉も分からずに取材ができるのだろうか?戦場で安全は確保できるのか?あれこれ考えて見たものの、すぐに入国することに決めた。ジャーナリストである以上、多少のリスクを背負ってでも現場に入り、日本の人々にいま何が起きているか伝えるのが使命だと考えたからだ。そして何より、自分が現地で何が起きているか知りたいという欲求が強いのだ。ここ10年ほどイラクやシリア、アフガニスタンなどの取材に同行させてもらっていて戦場取材の経験も豊富な先輩ジャーナリスト遠藤正雄氏に今回も同行をお願いすることにした。

ウクライナ入りしたジャーナリスト新田義貴氏(リヴィウ駅にて)

ポーランドからウクライナへ

3月5日夜、僕たちは成田空港からカタール航空機に乗り込み、ドーハ経由で翌6日の昼前にポーランドの首都ワルシャワに到着した。同じ飛行機に乗っていたポーランド人の夫婦が南部の都市クラクフまで3時間半もの道のりを車に同乗させてくれた。クラクフのホテルで1泊し、翌朝タクシーでウクライナ国境の町プシミシェルに向かった。

国際列車が出るプシミシェル駅は、すでにウクライナから大量の難民が押し寄せていた。治安維持にあたるポーランドの軍や警察、炊き出しなど様々な支援を行うボランティア、そして世界各国のメディア。駅は大混乱に陥っていた。

ここでウクライナ西部の中心都市リヴィウへの切符を買おうとしたが、窓口には長い行列でそれどころではない。リヴィウ行きの列車の出発は10時だと聞き、とにかく荷物を持ってホームへ走った。今回は戦場取材なので防弾チョッキとヘルメットを持参しているため走るのも簡単ではない。この混乱で列車の時刻はあってないようなもので、いま難民を乗せてきた列車が空になればまたリヴィウに向かうという。

結局、出国審査の列に2時間ほど並び、午後1時にようやく列車に乗り込むことができた。おそらく旧ソ連時代から使われていると思われる古い車両でとにかく寒い。2段ベッドが2つあるコンパートメントで、僕と遠藤さん、そしてアメリカから来たという若い女性ジャーナリスト3人の旅となった。国境を越えてウクライナ側に入ると、最初の駅で兵士が乗り込んできてパスポートを確認した。PCR検査の結果やワクチン接種などの確認は一切ない。戦争が始まり、もはやコロナどころではないといった感じである。

荒漠とした平原をひたすら走ること4時間。日が暮れる頃にようやくリヴィウ駅に到着した。ここもまた東部から押し寄せてきた難民たちで大混乱だった。遠藤さんが世界のジャーナリスト仲間のつてを頼って探してくれた、現地案内役のウラディミールが車で迎えに来てくれた。

ごった返すウクライナのリヴィウ駅

ウラディミールはリヴィウ出身で、現在はアメリカを拠点に活躍する映画監督であり詩人、ミュージシャンというマルチな才能を持つ男だ。同じく映像を生業とする仲間として、今回の取材でも大いに助けてくれるに違いない。

市内のホテルは満杯のため、彼が我々の宿泊先として見つけてくれたのはカトリック教会付属の宿泊施設だった。夜遅くにもかかわらず、スタッフは到着した僕たちを歓待し、部屋へ案内してくれた。質素だがきれいな部屋を与えられ、ようやく荷をほどいた。教会関連の施設だけあって、館内には至る所にイエス・キリストやマリアの肖像画が飾られていた。僕はクリスチャンの家庭に生まれ子供の頃から教会に育まれてきた。明日からの戦場での取材も神様が守ってくれるにちがいない。心強い気持ちになりながら眠りに就いた。

(つづく)

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