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【新田義貴のウクライナ取材メモ⑩ 強まる逆風】

【新田義貴のウクライナ取材メモ⑩ 強まる逆風】

ロシア軍による全面侵攻から2月24日で3年となる。アメリカのトランプ大統領は戦争終結を目指すとしてロシアのプーチン大統領との交渉に意欲的だが、当事国であるウクライナを外すかのような対応に欧州各国が懸念を示している。この戦争はどうなるのか。新田義貴は苦悩を抱きつつ隣国のポーランドにひきあげた。ところがそこで目にしたものは予想外な隣国での動きだった。(取材・撮影/新田義貴)

2024年3月5日、ウクライナでの3週間の取材を終えた僕は、キーウ発の長距離夜行バスに乗り込み隣国ポーランドの首都ワルシャワに向かった。2022年に戦争が始まった当初は、国境の検問所を抜けるとポーランド側に炊き出しのボランティアがいて、ウクライナ避難民を歓迎して温かい食事や衣類などを無償で提供していた。しかし戦争開始から2年という歳月が過ぎる中、そうした光景は過去のものとなっていた。

翌朝、ワルシャワに到着。ここにもボランティアの姿はない。バスステーションにあるホステルでシャワーを浴びてカフェでしばし休憩。昼前に国立ショパン音楽大学を訪れた。この大学では戦争開始当初からウクライナから避難してくる音大生を支援していて、2022年にいちど取材した。この日はその時にお世話になったピアノ科のカタジナ・ヤンコフスカ教授とランチの約束をしていた。カタジナは自宅で長年ウクライナ人の家政婦を雇っていて、戦争が始まるとその家族を呼び寄せて親身になって世話をしていた。また、ショパン音大への編入を希望するウクライナの音大生の相談に乗って受け入れを支援もしていた。

学内のカフェテリアで彼女と食事をしながら、長引くウクライナでの戦争について質問をしてみた。すると、カタジナの表情がみるみる曇った。

「2年前とは状況は全く変わってしまった。残念ながら今は何もかも悪い方向に向かっているわ。」

戦争当初はウクライナ避難民を最も熱心に受け入れていたポーランドだが、戦争が長引くにつれ徐々にそのことが社会にとって重荷になっていることはニュースで知っていた。そうした空気を敏感に感じ取り、いまだ戦争が続く祖国に危険を覚悟で戻る家族も少なくないという。しかし、事態はそれ以上に深刻だった。

カタジナと別れ、予約していた市内のホテルにチェックインした。荷物をほどいて少しベッドで休もうとした時だ。窓の外から、欧州のサッカーの応援でよく聴くようなけたたましいホーンの音が大音量で聞こえてきた。窓を開け階下を見下ろすと、目の前の大通りをポーランドの旗を掲げた男たちが長い列を作って行進している。いったい何が起こっているのか。すぐに外に出てこの行列を追った。軍服を着ている者も多い。立ち止まった彼らに話を聞いてみる。ワルシャワ郊外からやってきた農民だという。

「戦争が始まって以降、ウクライナから安価な農産物が流入したことで価格が下がり、自分たちの生活を圧迫している。そのことを政府に抗議するためのデモだ。政府はウクライナとの国境を封鎖し、農産物の輸入を禁止すべきだ。」

ウクライナは世界有数の穀物輸出国だ。小麦やトウモロコシを世界に向けて輸出していたウクライナ最大の港湾都市オデーサは、ロシア軍の侵攻後はミサイル攻撃の対象となり、ここから黒海経由で輸出することが難しくなった。

これまで見てきたウクライナの農地。それは地雷や砲弾、洪水などで大きな被害を受けてはいるものの、農産物はいまだ生産されていた。港湾を使えないウクライナは代替ルートとしてポーランド経由で農産物を陸路で欧州などに輸出していることは僕も知っていた。その結果、安い農産物がポーランド国内に出回り地元農家を苦境に追い込んでいたのだ。

農民たちは数千人規模でトラクターを連ねてワルシャワまでやってきて、国会や首相官邸にも別働隊が集まって包囲しているという。幸いデモは大きな暴動には発展しなかったが、警察との衝突で十数名の逮捕者を出すこととなった。戦争当初ウクライナを熱狂的に支援していたポーランドの人々。その空気が大きく変化している現場を目の当たりにして、とても切ない気持ちになった。そして戦争というものが人の心に与える暗い側面を改めて見た気がした。

ワルシャワでの最後の夜、「ショパンサロン」という名の小さなコンサートホールを訪れた。「ピアノの詩人」と呼ばれた作曲家フレデリック・ショパンは、ロシアの支配下にあった祖国ポーランドへの愛情を生涯にわたって持ち続け、戦争への激しい怒りを数々の楽曲に残した。この日もポーランド人のピアニストが、ショパンの名曲を弾いてくれた。

僕にとって、ウクライナでの取材の帰りにワルシャワでショパンの演奏を聴くことは毎度のルーチンとなっていた。帰国を前に、戦場で疲れ果てた心にひとときの癒しを与えてくれる時間は自分にとってかけがえのないものだ。

2025年10月、ワルシャワではウクライナでの戦争が始まって以降初めてのショパン国際ピアノコンクールが行われる。その頃ウクライナでの戦争はどうなっているのだろうか。戦火が止み、ウクライナとロシアのピアニストがショパンの楽曲を共に奏でる時は訪れるのか。そんなことを考えながら、ショパンの美しくも悲しい調べに耳を傾けた。

ウクライナをめぐっては、トランプ大統領による休戦を目指したロシアとの直接交渉の行方が取り沙汰されている。ゼレンスキー大統領がウクライナ抜きに停戦交渉が進むことに不満を表明する中で、トランプ大統領が「ウクライナの指導者は選挙を経ていない独裁者だ」と発言し波紋を広げている。

キーウにいる友人でジャーナリストのセルヘイは憤る。

「ウクライナの人々はトランプの一連の行動に怒っている。ロシアは米国との合意のもとでウクライナから核兵器を廃棄させたうえで軍事侵攻し、米国はウクライナから資源を奪おうとしている。それでもウクライナは決して負けない。」

この戦争はロシアが一方的に軍事侵攻して始まった。トランプの発言はまるでキーウに親ロシアの傀儡政権を打ち立ててウクライナを支配したいプーチンの意図を代弁しているかのようだ。多くの人命を犠牲にしながら侵略者と戦い続けてきたウクライナの人々に対して、トランプ大統領は軍事支援や停戦交渉の代償として地下資源を狙う「ディール」を持ち出している。極めて卑劣な策略としかいいようがない。ウクライナではトランプの発言を受けてゼレンスキー大統領を改めて支持する声が高まっているという。停戦交渉の行方はどうなるのか。侵攻当初から取材を続けてきた者の責任として、先の見えない混沌とした状況をしっかりと見つめながら、ウクライナがどうなっていくのか今後も取材を続けていきたいと思う。

編集長追記

『新田義貴のウクライナ取材メモ』の連載はこれで終わりです。お読みいただき有難うございました。今後も新田氏の現地報告を掲載していきたいと考えています。ただし、海外取材には経費がかかります。是非ともInFactへのご支援を宜しくお願いします。

新田義貴さんの連載は一度ここで終わりますが、トランプ大統領の言動もあって今後もウクライナの置かれた状況は厳しいものが予想されます。これについて新田義貴さんから以下のメッセージが送られてきましたので追記します。

「ウクライナをめぐっては、トランプ大統領による休戦を目指したロシアとの直接交渉の行方が取り沙汰されている。ゼレンスキー大統領がウクライナ抜きに停戦交渉が進むことに不満を表明する中で、トランプ大統領が「ウクライナの指導者は選挙を経ていない独裁者だ」と発言し波紋を広げている。現地に暮らす通訳のセルヘイからの情報では、ウクライナではトランプの発言を受けて不安と怒りの声が高まり、ゼレンスキー大統領を改めて支持する動きが加速しているという。停戦交渉の行方はどうなるのか。侵攻当初から取材を続けてきた者の責任として、先の見えない混沌とした状況をしっかりと見つめながら、ウクライナがどうなっていくのか今後も取材を続けていきたいと思う。」

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