解散総選挙は与党・自民党の勝利に終わった。否、野党第一党の立憲民主党(以後、立憲)の敗北で終わった。自民党261、立憲96。実際には両党ともに前回より議席を減らしてはいるが、立憲の敗北感は強い。枝野幸男氏は代表を辞任し、代表選が行われる。その焦点は枝野氏が決断した野党共闘をどうするか。メディアは、世論調査の結果として、野党共闘を支持しない人が多いと報じている。それも妙な話だ。なぜなら、その中には自民党支持者もいる筈だからだ。本来は選挙戦を戦った立憲の候補者にきかねばわからない。それも敗れた候補者に。(立岩陽一郎)
「考えることはいっぱいある。複雑な心境・・・」
それが「第一声」だった。そして選挙戦を振り返った。
「今回は当選するつもりだった。選挙区での当選を目指していた」
こう続けた。
「自民党に対する不信感を口にする人は多かった。『許せない』という声を何度もきいた。『応援している』『(票を)入れたよ』と言う人から声を掛けられた」
多少サバサバした感じで安田真理さん(43)が選挙を振り返った。
安田さんは兵庫7区から出て敗れた。投開票日から1週間余り経った日に、彼女の事務所で会った。事務所はJR西ノ宮から過ごし歩いた雑居ビルの中にある。
安田さんは元フリーアナウンサー。出身は石川県金沢市。金沢大学を卒業してNHKや民放の報道番組でキャスターをし、その後、法政大学大学院で社会学を学んだ。ジャーナリスト仲間として私も知らない間柄ではない。私が取り組んでいるファクトチェックの議論に加わっていたこともある。
2019年の参議院選挙の時に立民党の候補として兵庫から出て落選。いわゆる「落下傘候補」だが、今回の選挙は、東京の家を引き払って「地元」に根を下ろして備えた。
西宮・芦屋は大阪、神戸のベッドタウンだ。落下傘候補としてのハンディは有るだろうが、流動性の無い土地ではなく地元出身候補でないと勝てないという選挙区ではない。有権者数は44万人余。前回は自民党の山田賢司氏が9万5000票余を得て当選している。
この兵庫7区は自民党の候補と野党共闘の安田さん、そして日本維新の会(以後、維新)の候補が3つ巴の選挙戦を展開する選挙区として注目を浴びた。立憲も力を入れ、枝野代表、蓮舫代表代行、辻元清美副代表、泉健太政調会長ら有力議員が応援に入っている。
選挙では、「モノ言うアナウンサーが、政治にモノ言う!」として、福祉の充実や格差の是正、ジェンダー平等を訴えた。外交安全保障では、国際協調に基づいた「専守防衛」の堅持、米軍基地の集中する沖縄の負担軽減などを訴えている。
その選挙結果を示そう。
安田さんは64,817票で敗れた。比例復活はできなかった。
「もうちょっと肉薄すると思っていた」
悔しさがこみあげてくるように言った。
ここで前回の2017年の総選挙の結果を見てみよう。勿論、安田さんは出ていない。
安田さんはこの年の共産党の得票を大きく上回る6万5000を得ており、善戦したと言って良いだろう。しかし、安田さんの感触では「勝てる」し、もっと「肉薄」していた筈だ。気になるのは維新の三木氏の票が倍になっている点だ。なぜこういう結果になったのか?よく言われる、反自民票が維新にいったということなのか?
「それは有ると思う」
そして、選挙戦を通じての維新の印象を次の様に語った。
「維新は具体的で身近な政策と言葉でアピールするのがうまい。わかりやすい政党」
今回の選挙で11議席から41議席に大きく伸ばした維新。大阪で選挙区に立てた全ての候補者が当選し、兵庫県でも選挙区で1人通った。そして北海道をのぞく全国の比例区で当選者を出した。しかし、安田さんの「わかりやすい政党」とは良い評価という意味ではない。
「維新に票が行った理由はいろいろ。とくに、維新が掲げた『ベーシックインカムと教育無償化』は有権者に響いていたと思います」
しかし、と安田さんは言う。
「では、そのための財源は?維新はそうした話を正面からはしませんでした。できない筈です。そう簡単ではない」
そして、そこに逆に立憲の敗因が有ったと、安田さんは見ている。
「政権をとろうとすると、いい加減なことは言えない。真面目に、誠実に、となる。やれることしか言わない」
その結果、有権者に対して維新ほどアピールできなかったという。これは選挙戦を戦った人間にしか言えない実感だろう。こうも言った。
「立憲は自分たちが何者かを見せられなかった」
遠くを見るような表情だった。そして、言葉をつなぐ。私が質問する必要は無い。次から次に言葉が出てくる。まさに、冒頭語った「考えることはいっぱいある」ということなのだろう。
「メッセージ性が選挙で問われるのだとは思います。でも、世の中って、そんなにわかりやすいものじゃないですよね。それを誠実に語ろうとすると、わかりにくくなる。維新はわかりやすい。そこは維新の巧みさ」
それは同時に、立憲の下手さということでもある。わかりにくいことを真面目に説明しようとした。それが浸透するには19日公示の31日投開票という選挙戦では短かすぎた。
しかし、それだけではない。もう1つの敗因は更に深刻かもしれない。安田さんは、「足腰の弱さ」と言い切った。
「私自身が地域を十分に回れていないし、党本部からの新人候補に対するフォローも弱い。こちらにほぼ丸投げ状態でした。」
事務所は安田さんを個人的に支援する仲間で選挙戦を戦ったという。党本部からはさばき切れない大量のメールが届き、本部の近畿担当者は何回か様子を見に来たり電話がきたりしたが「それよりも現場に人がほしかった」と安田さんは言った。
「勿論、それら(本部からのメール)は参考にはなりますが、中には『今それを言われても』という感じのものも有りました」
それは、例えば新人候補のオンライン交流会の案内や選挙アドバイスといった内容だが、厳しい現場の状況がまったく理解されていないように感じたという。結果が出ている今聞くと失礼ながら「そんなものか」と聞き流してしまうが、確かに、新人候補者からすれば大変な話だろう。
「今それ言われても」とはどれくらい「今」なのか?
そう問うと、作業をしていたスタッフの女性が、「投開票日の数日前というのも有りましたよ」と、助け舟を出した。
その助け舟に勢いを得たからだろうか、安田さんの口から衝撃的な言葉が出た。
「政党があってないようなもの・・・」
立憲は野党第一党だ。選挙前の議席は109。野党共闘によって更に票の上乗せを目指していたのではなかったのか?否、目指していたことは間違いない。しかし、目指すには党としての機能が十分に働く状況ではなかったということだろう。
敗因をきいた上で、本題に入った。共産党の存在がクローズアップされた野党共闘はどうだったのか?それに反対した連合は実際にどう動いたのか?先ず、連合について尋ねてみた。
「連合が力になったかと言われれば、なりました。公示日当日に約1000枚のポスターを一気に公営掲示板に貼らなければならないのですが、そのポスター貼りだったり、選挙ハガキを7000枚ほど集めてくださったり・・・」
あとできくと、ハガキのノルマは5万5000枚だった。そのうちの7000枚を多いと見るか少ないと見るか問うた。
「立憲の存在感が薄い中での選挙で、労働組合さんたちの力は大きい。頼りになる人たちがいる、というのは精神衛生上も良かった」
私の問いをそうかわした。
「共産党に何かをお願いすることはなかった」と話した。では、野党共闘は意味なかったのか?それに対しては強い言葉で答えた。
「共産党が候補者を立てなかったというのは大きかった。共産党の持つ約2万の票があります」
共産党の2万票を得られたことは大きいということだ。2017年の選挙結果を見ればわかる。共産党の候補が3万6000余とっている。そのうちの2万が共産党の基礎票ということだ。つまり安田さんはその基礎票を得て、更に4万以上の票を獲得したということだ。
安田さんは言い切った。
「野党共闘は意味が有った」
それは単に「票だけじゃない」と説明した。
「本当の意味は、お互いに一致できるところで一緒に行動できた、ということ。意見交換し、他の野党も一緒にですが街宣活動に取り組みました。離れた票もあったでしょうが、それ以上に、日本の憲政がステップアップするための重要な結節点になったと感じます」
ただし、野党共闘を短期間で説明するのは困難だったとも感じていた。
「野党共闘によって何がなされるのか?それは、立憲主義や民主主義の回復、新自由主義の限界に向き合うこと、そうした社会を止める、そして若い人たちが希望を持てる社会を作り出す。そうしたことを焦らずに時間をかけて訴えていく必要が有る」
安田さんは、野党共闘は厳しくても進めるべきだと強調した。そして連合にも今の政治状況を寛大に受けとめてもらえたら、と願いを語った。
「勿論、連合との関係も重要です。立憲が労働者を守る立場の政党であることに変わりはありません。連合だけでなく、日本国民全員が、いま日本共産党への認識を見直していくべき時期にきていると思う」
安田さんは次の選挙に出るかは決めてはいないと話した。しかし、この地域で有権者との対話、政治活動は続けると話した。
次回は大阪2区から出て落選した尾辻かな子氏が選挙戦を振り返る。