石丸:「救う会」の佐藤勝巳さんから受けた影響は大きかったですか?
蓮池:それは大きかったですよ。我々が家族会を作った時は、いわばキャンバスは真っ白だったんですが、そこに佐藤さんたちがいろいろと5年間もやってくれたので、色づけされていきました。ただ、恩義に感じてしまうところがありまして、なかなか家族会が「救う会」に物申すことが出来なくなっていきました。「救う会」で方針を作って家族会を納得させるみたいに。「救う会」にしてみれば家族会は下部組織みたいなものだったのかもしれません。運動方針なんかは全部「救う会」が作ってきて、それを我々がのむという形ですから、被害者家族の心情を弄ぶというか、利用するというか、今考えてみるとそういう部分はあったかと思います。
石丸:具体的にはどなたがですか?
蓮池:佐藤さんを中心に、西岡力さんとか、荒木和博さんとか。もう「北朝鮮では何万人も死んでいて、今年の冬はもたない」なんて言っていましたし、私たちはそれを信じるしかないわけです。佐藤さんは、最終的には日本の核保有ということころにまでいきつくんですが、集会やっても最後は佐藤さんが締めるんで、反北朝鮮集会みたいになる。それで家族会=反北団体のように受け取られようになったのだと思います。
石丸:そういうイメージを持たれていたと思います。
蓮池:2002年以降、それをさらに煽ったのが当時は官房長官だった安倍さんですね。反省をこめて言えば、私もそれに加担した部分があったと言えばありました。私たち家族会に寄ってくるのは国会議員でも右寄りな議員ばっかりでした。私が覚えているのは、中川昭一さん※に「憲法記念日に来てくれ」と言われたので、「憲法記念日に何をしゃべるんですか」って訊いたら「9条が邪魔だとでも言っとけ」と。何にも知らなかったのでそのまま言っちゃった。その集会は改憲派の集まりだったんです。当時、私も歳はとっていましたけれど、それまで政治には興味がない、ただのノンポリでしたから「お世話になっている人に頼まれたので」といった感じで軽く考えていたんです。今となっては恥ずかしい限りです。