「そんなに深く入り込んでいたわけではないでしょう。なぜなら同じ事柄に興味を持ち続けるような子ではなかった。夢ばかりみているような子だった。やりたいことがあってもやり続ける辛抱強さはなかった」
サミーの部屋を見せてもらった。6畳くらいの広さにベッドと勉強机。机の上には英語で書かれたビジネスの教科書や、アメリカの大学に留学する際などに英語の能力を測る試験、TOEFLの参考書などが平積みにされていた。
青いギターもあった。ハヤトによれば音楽好きの兄から送られたもので、サミーもたまに弦を爪弾くことがあった。壁にはイスラム教の経典コーランを金色にかたどった額が掛けてあったが、それもイスラム教徒の家庭では普通の光景で、ことさら狂信的な片鱗を示すものではないだろう。
テレビや映画をよく見ていたし、中でもアメリカのドラマやハリウッド映画が主なコンテンツのHBOチャンネルが好きだったという。少なくとも家庭で見せた顔からは、サミーが異教徒や欧米文化を極度に憎んだ様子は見えない。
過激なところは何もなかった。失踪前に気づいた変化といえば、その半年ほど前にフェイスブックのアカウントを閉じてしまったことだという。ハヤトがその理由を尋ねた際に、サミーは「みんなが自分の邪魔をするから」と答えたという。
父は息子がフェイスブックで勉強時間を無駄にしなくなるので良かったという程度にしか考えなかったが、それが何かの合図だったのか、その答えが何を意味したのか、本人が死んでしまった今となっては確かめる術はない。(続く)
宮崎紀秀
1970年生まれ。元日本テレビ記者。警視庁クラブ、調査報道班などを経て中国総局長。中国滞在は約8年。北京在住。