「彼は他の人によく褒められていました。マドラサの人にもよく言われていました。しかしダッカに行ってからすっかり変わってしまいました」
母ピアラ(42歳)は消え入りそうな細い声でそう話した。話を総合すると、カイルルは9か月か10か月前にマドラサの同級生に誘われる形で、ダッカの大学に行くと言って出て行った。この同級生がダッカに行く手続きや金銭的な援助も申し出たという。カイルルは事件の半年前に金を取りに一度家に戻って来たが、家族にはそれが生きた息子の最後の姿となった。
カイルルは日本人や外国人に敵意を持っていたのだろうか。
————外国人について話したのを聞いたことがありますか?
「何も話したことはありません」
————日本人について話していたことは?
「何も話したことはありません。顔つきについて話したこともないです」
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カイルルが将来、何をしたかったのかについて尋ねると「勉強を終えて卒業して良い仕事につきたかっただけ」という。貧しい生活から抜け出したかったのだろうか。しかし「子供の頃から経済的な問題にはたくさん直面しているので貧乏には慣れていたと思います」と話す母親には、何ら思い当たる節はなかったのだろう。
部屋の骨組みから板を吊るして作った棚に生活用品に混じって無造作に乗せられていたものに気づいた。手垢と埃でだいぶ汚れていたが丸みを帯びた胴体は青、顔や手足の先は白い布が使われた縫いぐるみだ。本物に比べればずいぶん間延びした顔だが日本の「ドラえもん」を模していた。ドバイに住む次女の子供の玩具だという。この家に住んでいた頃のカイルルが日本人や異文化を激しく敵視していたとは思えなかった。(続く)
<<執筆者プロフィール>>
宮崎紀秀(norimiyazaki@outlook.com)
1970年生まれ。元日本テレビ記者。警視庁クラブ、
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