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日本も無縁ではないフィリピン・メディアに起きている危機

日本も無縁ではないフィリピン・メディアに起きている危機

2016年に就任したフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領は自身に対して批判的なメディアに対する敵意を隠さない。こうした中、インターネットメディア「ラップラー」を巡り、「報道の自由」を脅かす判決がフィリピンで下された。マニラ地裁が6月15日、名誉毀損の罪で「ラップラー」の最高経営責任者(CEO)マリア・レッサ氏に最長で禁固6年の有罪判決を言い渡したのだ。(文/写真 鈴木貫太郎) 

ドゥテルテ政権VS比メディア

今回の有罪判決に関わる背景を理解してもらうために、これまでの経緯と事実を簡単に振り返る。

「ラップラー」はレッサ氏を含む女性4人が中心となり共同創設したフィリピンの新興ネットメディアだ。少人数の編集局で速報や分析記事を量産し、読者を獲得してきた。設立当初は12人しかいなかったメンバーも今では百人規模にまで拡大した。CEOのレッサ氏は米CNNマニラ、ジャカルタ支局長を勤めたベテラン・ジャーナリストで、記者歴は約30年。フィリピンでマルコス独裁政権が打倒されたエドサ革命(1986年)も取材した経験がある。フィリピンの最大手テレビ局ABSーCBNのニュース編集局長を務めた後、2012年に「ラップラー」のCEOに就任した。

報道の自由について語るマリア・レッサ氏

順調に読者数を増やしてきた「ラップラー」だったが2016年7月に大きな転機が訪れる。ドゥテルテ政権の誕生だ。

ドゥテルテ大統領は就任前から治安維持を優先政策に掲げ、犯罪者に対しては徹底的に厳しく捜査すると公言していた。圧倒的な大差で大統領選に勝利した後、ドゥテルテ大統領は公約を実行に移す。「犯罪者が抵抗したら射殺しろ」などと人権無視ともいえる発言を繰り返し、警察による強引な捜査を助長、容認してきた。特にドゥテルテ政権が推進している違法麻薬撲滅作戦では、就任から2019年9月までに公式発表で約7千人、人権団体の調査によれば1万人以上の死者を出したとされている。その中には犯罪と関わりのなかったケースも含まれていたと見られる。

「ラップラー」をはじめとする報道機関の多くは、そうした強権的な政策の問題点を掘り下げる報道を行ってきた。これに対して、ドゥテルテ大統領はメディアを徹底的に非難する手法で応戦した。

劣勢に立たされるフィリピンのメディア

2017年、ドゥテルテ大統領は国民に向けた施政方針演説で「ラップラー」や大手テレビ局などを名指しで批判。それ以降、メディアに対する露骨な圧力は一挙に加速していく。

2018年、「ラップラー」及びレッサ氏に対して政府の強制捜査が始まった。かけられた容疑は名誉毀損、脱税、詐欺など計11件。そのうち8件でレッサ氏は刑事訴追された。今回、有罪判決が下った訴訟はそのうちの一つにすぎない。レッサ氏は2020年6月22日、日本外国人特派員会主催のオンライン記者会見で、「最後まで戦う覚悟はできている」と述べ、控訴審・最高裁まで争う考えを示している。

フィリピンでの名誉毀損訴訟では結審まで10年以上の時間を要する場合もあるが、レッサ氏に対する訴訟は異例の速さで審理が進んだ。他の訴訟も含めて、レッサ氏を取り巻く環境が今後どのように変化するかは予想ができない。残りの訴訟も一気に審理が進む恐れがある一方で、次期大統領選挙(2022年)の時期までじわじわと圧力をかけられる可能性も指摘されている。

こうした政府からの威嚇や圧力は「ラップラー」だけでなく、他の報道機関にもかけられている。大手日刊新聞「フィリピン・デイリー・インクワイアラー」はオーナーが圧力をかけられた結果、別の財閥へ経営権が売却された。最大手テレビ局のABSーCBN社は2020年5月に放送権の失効を理由に地上波の放送中止に追い込まれた。ドゥテルテ政権に批判的なメディアはマルコス独裁政権以来の苦しい状況に置かれているのだ。

「無理筋」の訴訟での有罪判決

レッサ氏を名誉毀損で訴えたのは、華人系ビジネスマンのウィルフレド・ケン氏だ。ドゥテルテ政権が誕生する4年以上前の2012年5月、「ラップラー」はアキノ前政権下で弾劾裁判にかけられていたコロナ最高裁長官(当時)とケン氏の汚職疑惑を報じた。問題の記事では、最高裁長官との癒着だけでなく、ケン氏が人身売買や密輸に関与しているとの疑惑も指摘した。

報道から5年後の2017年、ケン氏は名誉毀損で「ラップラー」を刑事告発する。告発の根拠となったサイバー犯罪防止法はラップラーの当該記事が発表された後に成立・発効したため、重要事件の捜査を専門に担当する国家捜査局一度訴えを棄却した。だが、翌2018年、「ラップラー」が2014年にタイプミスを修正したことを根拠に、司法省が起訴を決める。根拠を強引に捻り出したともいえるこの訴訟で、レッサ氏に有罪判決が下されたのだ。

ちなみに、レッサ氏の起訴から1年が経過した2019年9月、ケン氏の娘パトリシア・ケン氏が政府の諮問機関「フィリピン女性委員会」の委員に任命された。ドゥテルテ大統領はケン氏と面識はないと主張しているが、レッサ氏に対する訴訟との関連性を疑わせる不可解な人事と指摘する声は多い。

高止まりする大統領の支持率 その背景は

メディアからの批判が高まる一方で、ドゥテルテ政権がフィリピン国民の間で一定の評価を得ていることも事実だ。2020年1月に公表された民間世論調査では、有効回答者数の約8割が「大統領の政策に満足している」と答えている。

メディアに強引な攻撃を仕掛けながらも国民の支持率が高止まりする背景を、フィリピンの近代政治に詳しい名古屋大学大学院国際開発科の日下渉准教授はこう解説する。

「ドゥテルテ陣営はフェイクニュースで一方的に人々を洗脳したというよりも、人々の抱える怒りや希望をうまく見出し、それと共鳴する言説を練りあげて提示することに成功したといえるでしょう」

激しい貧富の格差が残るフィリピンでは、これまで社会を作り上げてきたエリート層に対する不満が根強い。ドゥテルテ陣営はソーシャルメディアなどを通じて、テレビや新聞に頼らず国民に直接メッセージを伝える手法を活かし選挙で勝利を収めた。「ドゥテルテのようなアウトローでなければ社会は変えられない」という国民の隠れた認識を利用したといえる。

こういったドゥテルテ政権の政策に懸念を示しながらも、日下准教授は冷静に状況を分析する。

「多数派による既存の自由民主主義の否定や超法規的殺害の支持・容認は、フェイクニュースによる洗脳の結果ではなく、むしろ彼らの怒りや希望に根差しています。その意味では闇はより深いのです」

事実を守る気概が試されている 

ドゥテルテ政権の強行的な麻薬捜査を批判しているフィリピン人権委員会のチト・ガスコン議長は、インファクトの取材にこう語った。

「国民の支持があるからといって何でもやって良い訳でない。報道の自由の侵害はしていないと政府は主張している。しかし、特別な理由が背景にあるという疑惑を抱かざるを得ない時期に『ラップラー』を起訴したのは何故か。政府は、メディアを萎縮させるような行動を控えるべきだ」

日下准教授と同様に、ガスコン議長も「ドゥテルテ支持の背景には、根深い貧困問題に直面している国民の不満がある」と指摘する。理想を掲げるだけで社会問題を解決できなかった旧来の支配層に対して、フィリピンの国民は大きな不満を抱いているからだ。

「しかし・・・」とガスコン議長は言葉をつなぐ。

「民主主義が正常に機能するには、政府が法を尊重する必要があります。世界中で自由と民主主義が後退しています。私たちは、こうした人権に対する権力者の攻撃に勇気を持って立ち向かわなければならないのです。手遅れになる前に」

「真実をめぐる戦いの守護者」として、米タイム誌が選ぶ2018年版「今年の人」にも選ばれたレッサ氏。前述の日本外国人特派員会の会見でレッサ氏は、日本をはじめ、世界のジャーナリストに向けてこんなメッセージを送っている。

「事実と真実が攻撃されている今、私たちは二つの問いに直面しています。事実を守る気概がどの程度あるのか。真実を守るために何を犠牲にできるのか。民主主義や権利は永続的に存在するものではありません。守らなければ、消失してしまうのです」。

日本のジャーナリストにとってフィリピンで起きていることが対岸の火事でないことは既に言うまでもない。

(鈴木貫太郎:1981年、東京都生まれ。アメリカの大学を卒業後、早稲田大学ジャーナリズム大学院を修了。ニューヨーク・タイムズ紙東京支局で取材した後、フィリピンに渡り現地邦字新聞社に4年半勤務。2016年に帰国。現在、フリーランスのジャーナリストとして活動中)

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