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【危機の東アジア】弾圧の中で取材を続けるミャンマー人記者たち 

【危機の東アジア】弾圧の中で取材を続けるミャンマー人記者たち 

国軍によるクーデターへの抗議が続くミャンマーでは19日、抗議デモに参加していた20歳の女性が死亡した。女性は今月9日にデモに参加した際、治安当局に発砲され重体の状態が続いていた。緊迫の度合いを強めるミャンマー情勢について、フィリピンを中心に東南アジアでの取材経験が長い鈴木貫太郎が伝える(取材:鈴木貫太郎/写真:現地女性ジャーナリスト)

突然届いたメッセージ

今起こっている状況については把握していると思います。写真やビデオもある。世界にこの状況を伝えるために使ってくれませんか。世界からの注目が必要なのです。もし情報が必要ならばいつでも連絡してください

ミャンマーで起きた軍事クーデターのニュースを見ながら、「日本に住む自分にも何かできないか」と考えていた2月10日未明、フリーランスでジャーナリストとして活動するミャンマー人女性からFacebookを通じて突然メッセージが届いた。

メッセージが届く9日前の2月1日、ミャンマーでは国軍によるクーデターが発生し、国民民主連盟(NLD)の アウン・サン・スー・チー 国家顧問兼外相とウィンミン大統領らの身柄が拘束された。

彼女の名前も、身柄を拘束される危険性から匿名にさせて頂く。このメッセージが届いた時期、すでに「国軍がインターネットを遮断して、Facebookの利用を規制している」と報道されていた。聞くと、多くのジャーナリストは「VPNを駆使して、国軍の規制をかいくぐりながらFacebookで発信を続けている」という。VPNとはVirtual Private Networkの略で、特定の人のみが利用できる仮想のインターネット回線を意味する。VPNを経由してインターネットに接続すれば、誰がインターネットに接続しているかを察知されない。このため、彼女はVPNを使って連絡してきたということだ。

東南アジアの報道に定評のある英語ニュース専門テレビ局「チャンネル・ニュース・アジア」によると、ミャンマー現地では、戒厳令が発令されているため、ネピドーやヤンゴンでの5人以上の集会は禁止されている。すでに、クーデターに反対する知識人や活動家が軍に拘束されている。

ジャーナリストも不用意に海外へ情報発信すれば、拘束される危険性に直面している。危険を覚悟してメッセージを送ってきたジャーナリストに突き動かされ、何か書かなければと思い、複数のミャンマー人ジャーナリストに追加取材を試みた。だが、取材は予想以上に難航した。

インターネットメディアに勤めるジャーナリストには「写真や映像は送りたい。だが現地の状況を電話やメールで詳しく伝えることはできない」と断られた。何度かメールでやりとりしたが「取材を受けたいのだが、編集部の方針で情報発信は慎重にしている。なんとか写真だけは送りたい」というメールを最後に連絡頻度が減り、この記事の完成までに彼から写真と動画が送られてくることはなかった。

拘束が続くスー・チー氏

スー・チー氏が率いるNLD政権が発足し民主化が始まってから約10年。現地からの報道によると、これまでの流れに逆行するような軍事クーデターに多くの国民が抗議の声を上げている。日本大使館前などを含むミャンマー各地で大規模なデモが連日続いている。また、公務員や医療関係者らが職場を放棄して抗議の意思を示す不服従運動(Civil Disobedience Movement)と呼ばれる動きも活発化している。

しかし同時に、国軍による締め付けも日を追うごとに厳しくなってきていることが、現地のジャーナリストとのやり取りから感じられた。

2月13日、市民のプライバシー権などを保障する法律の効力が停止された。これでミャンマー国軍は、裁判所の令状がなくても市民の身柄を拘束できるようになったほか、私有財産の差し押さえも可能になった。そのため、今後さらなる実力行使に出るのではとの懸念が出ている。

スー・チー氏解放の声は国内外で高まっているが、解放に向けた見通しは立っていない。

BBCの報道によると、スー・チー氏は当初、違法無線機器を所持していた容疑で逮捕された。その後、スー・チー氏は別の容疑でも訴追され拘束状態が続いている。

ミャンマー国軍は、NLDが議席の8割以上を獲得した昨年11月の総選挙で大規模な不正があったと主張。総選挙をやり直し、勝利した政党に権限を委譲するまで、国軍最高司令官が立法・行政・司法の三権を掌握する体制を敷くとしている。

こうしたミャンマー情勢を憂慮し、国連人権理事会は2月12日、ジュネーブで特別会合を開き、スー・チー氏や大統領だったウィンミン氏らの即時解放などを求める決議を全会一致で採択した。

時事通信の報道によると、対ミャンマー外交に関し、日本は独自色を貫いてきた。2007年の民主化運動弾圧で欧米各国が制裁を強化した際も、日本政府は軍との関係を切らず支援を継続した。今回もこうした「伝統」にのっとり、駐ミャンマー大使が軍側と接触、説得を試みているという。

恐れず取材を続ける

難航した取材だったが、その後、冒頭のメッセージをくれた女性のフリージャーナリストから現地の様子が聞けた。

女性ジャーナリストが撮影した抗議する人々

私は抗議デモに参加しながら、ヤンゴンで取材を続けています。市街地は軍の装甲車が配備されていて警戒が厳しい。連絡を取るのは夜間にしたい。その時間帯ならば、自家用車で郊外に移動して安全なVPNに接続できます

クーデターが発生した2月1日午前3時ごろ、彼女は鳴り止まない携帯電話の通知音に起こされた。NLDの関係者や旧知の取材源からの着信だった。第一報では「スー・チー国家顧問兼外相ら政権幹部が拘束された」とだけ、伝えられた。

しばらくは何が起きているのか理解できませんでした。ですが、民主活動のリーダーの1人マイア・エイさんの拘束をSNSで知ったとき、『これは軍のクーデターに違いない』と直感しました

電話やインターネットで情報収集を続けていた午前9時ごろ、国軍のテレビ放送局で会見が放送された。彼女の予感は的中していた。国軍がテレビを通じて全権掌握を宣言したのだ。

この放送直後から一時、ネピドーにある国会議事堂で取材しているジャーナリストたちと一切連絡が取れなくなりました。あの日から軍による活動家らの拘束は続いていて、彼らの所在地や健康状態などに関する正確な情報は全くありません

彼女によると、クーデター発生から5日目、「誤ったニュースを拡散している」という理由でFacebookの利用が停止された。そして、翌日の午前11時ごろ、インターネットが完全に一時遮断された。同様の現象は、スー・チー氏の拘束期限が延長された当日の2月15日にも発生したという。

その後、インターネットは利用可能となった。だが、クーデター前に比べると低速で、VPNを介さなければ安心して利用できない状態が今でも続いている。

彼女を尾行する国軍兵士の姿はまだない。突然の逮捕の危険性は常に感じているという。だが、「取材を止めるつもり一切はない」と話す。

私はジャーナリストです。この国で起こっている事実を伝えるのが私の責務であり、生きがいでもあります。恐れず取材を続けます

「一番の不安は何か」と聞くと、こう答えが返ってきた。

軍事政権下の市民になってしまった現実に不安を感じています。過去目撃した悲劇が繰り返されて欲しくありません。クーデターは明らかに未来への脅威です。もう安心して夜を過ごせません。いつ国軍兵士が家のドアをノックしてくるのか分かりません。歴史が繰り返されないように、と強く願っています

※アウン・サン・スー・チー 氏のカタカナ表記は共同通信の表記に合わせています※

「危機の東アジア」は中台関係、朝鮮半島問題、ミャンマー情勢、そしてそれぞれと深く関わる日本の状況を描くシリーズです。鈴木貫太郎氏はフィリピンの現地邦字メディアで約4年間取材した経験を持ち、現在も東南アジア各国のジャーナリストと独自のパイプを持って取材を続けています。今後とも鈴木氏の記事に期待してください。

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