ウクライナ入りをした新田義貴が目撃したのはロシア軍の侵攻に備える市民の姿だった。そこで見たものは、「祖国を守る」という信念と団結だった。(取材/写真:新田義貴)
AK-47
3月8日。翌日のキエフ行きのためリヴィウの町で買い出しをしていた僕たちのもとに、夕方から市民のための銃の取り扱い講習が開催されるという情報が入った。午後5時、指定された会場に着くとそこはなんと映画館だった。僕らの通訳で映画監督のウラディミールはこの劇場で自分の作品を上映したこともあって支配人とは旧知の仲だった。
ホールに入るとステージの上にテーブルが3つ置かれ、そのうえに自動小銃が無造作に置かれている。客席には20名ほどの市民が集まっていてなかには女性の姿も。やがて立派な体格をした講師役の男性が現れ、銃への弾倉の装着の仕方をレクチャーし始めた。
旧ソ連製AK-47通称カラシニコフ銃は、操作が簡単なうえに耐久性がひじょうに高く過酷な環境でも使用できるため世界中のあらゆる紛争で使用されてきたロングセラーだ。僕は20年前にアフガニスタンで少年兵の取材をした際、10歳の少年がこの銃を手際よく分解してまた組み立て直した姿に驚いた記憶がある。それほど誰でも簡単に扱える銃なのだ。講師による説明が終わると、さっそく市民が実際に銃を手にして扱い方を学んでいく。
終了後、参加者に話を聞いた。2児の母親だという35歳の女性は次のように話した。
「最前線に行けませんが、ロシア軍がもしこのリヴィウの町に侵攻して来たら銃を持って家族のために戦います」
まだ15歳だという少年は目を輝かせて次のように答えた。
「国のために戦いたいです。両親も賛成してくれています」
製造される「モロトフカクテル」
映画館の屋上では夜になると若者たちが集い、火炎瓶の製造も行われていた。夜なのはみな昼間は仕事をしているからだという。現在ウクライナではこうした火炎瓶の作り方などの情報がインターネット上で拡散している。現地では「モロトフカクテル」と呼んでいた。
使うのはウォッカの空き瓶。そこにガソリンを入れ布で栓をするだけ。気温マイナス3度の寒さの中、彼らは黙々と作業を続けていく。こうした火炎瓶がどれほどロシアの強力な戦車や装甲車に効力を発揮するのか分からないが、彼らは大真面目でこの「弱者の武器」でロシアと戦うつもりなのだ。
最後に防御用のバリケードを作っている人たちがいるという話を聞き現場へ向かった。真っ暗な住宅街で一軒の家からまぶしい閃光が発せられている。行ってみると自宅のガレージで5~6人の男たちが一心不乱に鉄を溶接している。対戦車用のバリケードを作っているという。
呼びかけたのはこの家の主人。普段はIT関連の会社を経営しているという。祖国の危機を救うために、溶接工の友人の指導のもと連日連夜仲間たちとバリケード作りに励んでいるという。こうした人々に共通しているのは「祖国を守る」という強い信念と団結力だ。彼らの精神がいったいどこから来ているのか。この疑問が僕にとって今回の取材の大きなテーマとなっていくこととなった。
そして僕らはキエフへ向かう。
(つづく)