ウクライナ入りしたジャーナリストの新田義貴がキエフに入った。そこで新田が見た首都の姿、出会った人々とは。(取材/写真:新田義貴)
3月10日午前8時、僕らはようやく首都キエフへ入った。
町の入り口では厳しい検問が行われていて長蛇の列ができていたが20分ほど待った後、無事に通り抜けることができた。車窓には高層ビルが山脈のように連なり流れていく。大都市ならではの風景なのだが、一方で人影がほとんどないことに強い違和感を覚えた。
キエフ都市圏で400万といわれる人口のうち今も200万人が市内に残ると言われている。市民はみな家の中に閉じこもっているのだろうか?この時すでにロシア軍は町から20キロほどの地点に迫っているとの報道が連日されていて、いつ侵攻が始まってもおかしくない緊迫した情勢となっていた。
一般市民の代わりに目立つのが兵士の姿だ。町のいたるところに防御用のポストが作られていて数名の兵士が配置についている。ポストには土嚢やコンクリートブロックが積み上げられ、鋼鉄でできたバリケードが張り巡らされている。リヴィウの町で一般市民が作っていたあの構造物だ。そしてポストの手前数十メートルにもバリケードがジグザグに置かれ、蛇行しなければ進めないようになっている。これは敵の車両が突進してくるのを防ぐためのものだ。沖縄のアメリカ軍基地のゲート前には必ずこうしたバリケードが設置されているので自分には見慣れた光景だが、これが道路の真ん中にあるために市内をまともに走行することもままならない。ポストの土嚢やコンクリートには銃眼が作られていて、兵士がここから銃を構えて侵攻してきた敵と戦えるようになっている。
こうした光景を見ると、ウクライナ政府はロシア軍の侵攻に対して、市街戦を行ってでも徹底抗戦する決意であることが読み取れる。まさにキエフの町全体が臨戦態勢の軍事要塞化していると感じた。
やがて市の中心部にあるテレビ塔が見えてきた。中段部分が著しく破損している。このテレビ塔は3月1日にロシア軍のミサイル攻撃を受け、付近を歩いていた市民など5名が犠牲になるなどの被害が出ている。この攻撃で一時はテレビ放送が中断したが、すぐに復旧したという。今回の戦争においてロシア、ウクライナ双方がいかに情報戦を重視しているかを象徴する出来事だ。
テレビ塔の向かいの道路脇に積み上げられた砂をショベルで袋に詰めている男女がいた。話を聞いてみると、道路沿いにある病院を銃撃などから防御するための土嚢を作っているという。
兵士がひとり指揮を執っているが、作業しているのはみな一般市民だ。特に若者の姿が目立つ。ショベルで砂を袋に入れる者、袋の口を結ぶ者、出来た土嚢を病院の入り口まで担いで運ぶ者。それぞれが役割分担しててきぱきと作業を進めている。そしてなぜかその表情は明るい。
大学生だという18歳の女性は満面の笑顔を見せながらこう語った。
「毎日ここに来て土嚢を作っています。いつでもロシア軍と戦う覚悟はできています。
私たちの国を守るためです。怖くはありません。」
彼女が語った「私たちの国」。多くの人々が祖国ウクライナのことをこう語った。彼らにとってウクライナという国家はどのような存在なのだろうか?
その答えを求めて戦時下の市民への取材をさらに続けていく。
(つづく)