後で弟に聞いて分かったのだが、市内の喫茶店で今の妻である奥土祐木子と待ち合わせ、そこで彼女は軽い食事をしたのだという。そして、二人で柏崎の海岸へ出たというのである。しかしこれは、当時の私達は知らなかった。
祐木子は地元出身で、当時は化粧品会社で働いていた。かなり前から弟と交際していたらしいのだが、家族はそのことを知らなかった。当然、私も知らなかった。そのため徹夜で麻雀して友達と泥酔してどこかで寝てしまっている程度にしか思っておらず、多少なりとも心配にはなっていたものの、まだこの段階では「困ったヤツだ」という思いが強かった。
ところが、1日、2日経っても弟は帰らなかった。そして、弟がいなくなってから3日後、家を出る時に乗っていった自転車が市立図書館の駐輪場にあるのを私たちが見つける。なぜか自転車はロープで支柱に結わえ付けてあった。遺留品といえばそれだけであった。
柏崎は海岸沿いの町で、二人が待ち合わせたという喫茶店も市立図書館も海岸の近くである。喫茶店を出て自転車を押して行き、図書館の駐輪場に置いて、300メートルほど先の海岸まで歩いていった…。そしてあの事件に巻き込まれるわけだが、これらは全て弟と再会して初めて知った話だ。
私も弟と仲の良かった友達に片端から電話をしてみた。「僕は東京にいますから会っていません」とか、「この夏休みは帰省していません」といった応えばかりで手がかりは得られなかった。そうこうしているうちに奥土祐木子と弟の共通の友人が「実は祐木子さんもいなくなったんだよ」と知らせてくれた。
この時点で初めて二人が人交際しており、一緒にいなくなったということを私たちは知った。そして蓮池家と奥土家は、初めて顔を合わせることになる。蓮池家には「あの女に騙されて」という思いがあったし、奥土家には「薫がどこかに連れていった」という思いがあったのは間違いない。
しかし、その時は1週間くらいすれば二人は帰ってくるだろうと皆が考えていたのである。
<<執筆者プロフィール>>
蓮池透
1955年新潟県柏崎市生まれ。東京理科大学理工学部卒業。 東京電力に入社し、原子燃料部部長などを歴任、2009年退社。その間、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長、副代表として拉致問題の解決に尽力。2010年、考え方の違いから同会除名。著書に「奪還 引き裂かれた24年」(新潮社、2003年)、「奪還第二章 終わらざる闘い」(新潮社、2005年)、「拉致 左右の垣根を超えた闘いへ」(かもがわ出版、2009年)、「私が愛した東京電力 福島第一原発の保守管理者として」(かもがわ出版、2011年)など。