愛知県で大村秀章知事に対するリコール(解職)を求める署名活動が起きている。そうした中、「署名した人の個人情報が漏洩する」というネット情報について、発起人の高須克弥氏が「デマ」だと指摘し、複数の著名人を刑事告発したという。だが、署名者の個人情報は本当に漏洩しないと断定できるのか。調べると、署名簿の縦覧制度の問題は70年前から指摘されており、情報漏洩や濫用の恐れがあることがわかった。愛知県が閲覧の制限を検討しているが、総務省は慎重な姿勢を示している。(楊井人文、田島輔)【続報あり=文末参照】
「縦覧」期間中は署名簿全体を閲覧できるのが原則
地方自治体の長に対するリコール請求は、それに賛同する有権者の署名が一定数を超えると、その賛否を問う住民投票が行われる。一定数を超え、署名簿が県に提出された場合は、審査を経て、指定された場所で7日間の「縦覧」が行われる。市町村または政令指定都市の区の有権者であれば、自分が住んでいる地域の署名簿の全部を閲覧できるのが原則だ(詳しくは、関連記事=[FactCheck] 大村知事リコール運動 「署名者の個人情報が公開される」は本当か?も参照)。
総務省自治行政局行政課の担当者は、インファクトの取材に対し、署名簿の縦覧は「原則として自分の署名だけでなく、全て見せる必要がある」との認識を示した。
「縦覧」は、第三者が勝手に自分の名前で署名していないか、自分の署名が無効とされていないかを確認し、異議申し立てができるようにするための制度とされる。署名簿には、署名、住所、生年月日、押印、署名日が掲載されている。縦覧期間中であれば、これらの情報を第三者が閲覧できる状態になる。
過去のリコール請求では、反対派が縦覧の際に署名者の住所を書き写し、署名を取り消すよう説得に回るという問題も起きている。従来のように縦覧が行われた場合、署名者の個人情報が漏洩したり、濫用されたりする可能性は否定できない。
もちろん、これは「縦覧」が実施された場合の話だ。署名が必要数に達しなければ、そもそも縦覧が実施されることもないので、署名が第三者に閲覧される機会はない。
愛知県選管は制限的な縦覧方法を検討中
愛知県選挙管理委員会(選管)は、今回の知事リコール請求を受けて、署名簿の縦覧の範囲を限定する運用を検討している、とインファクトの取材に回答した。「個人情報保護に配慮する必要から検討している。地方自治法の趣旨は、全部を見せる必要はないと考えている」と担当者は話す。
具体的には、縦覧に来た人の署名が署名簿にあるかどうかを選管側で確認し、名前があればその部分だけを閲覧させる。署名をしていない人が偽の署名がないかを確認するために縦覧したいと申し出た場合でも、「苗字だけ等、名前がないことを確認してもらえる最低限の情報を出すことを考えている」という。署名簿の全体の閲覧を求められても、断る方向で検討している。縦覧の実施主体は各市町村の選管だが、県選管で統一的な方針を決めて通知する方針だ。
「縦覧」の方法は、法律で具体的に定義されていない。一般的に、「縦覧」の意味は「自由に見ること」だ。総務省も「過去に縦覧範囲を制限した事例は承知していない」といい、愛知県選管が検討している制限方法が適法かどうかについて、総務省は現段階での回答を避けた。
この問題に関連して、夕刊フジは「愛知県選挙管理委員会に確認したところ、署名を行う受任者や署名者の個人情報が漏洩することはなく、デマだった」と報じた(9月2日、「高須院長、町山智浩氏・香山リカ氏・津田大介氏を刑事告発 大村知事リコール『署名で個人情報漏洩』デマで」)。しかし、愛知県選管はまだ運用方法を決めておらず、従来の縦覧が行われる可能性も残されているため、「デマ」だと断じるのは早計だろう。
署名の秘密が担保されていなかった「縦覧」制度
憲法第15条4項は「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない」と定めている。住民投票にも、憲法上の投票の秘密の保障は及ぶと解釈されている。ただ、リコール請求の署名は、厳密には「投票」ではない。だが、署名したかどうかが第三者に知られるとすれば、署名に躊躇する人が出ても不思議ではない。実際に、6年前のある町長リコール運動で、住民が署名に躊躇していたという報告がある(相川俊英「署名縦覧を盾に議員らがビラで暗黙の圧力?町長リコール運動をめぐる川島町住民の狼狽」=ダイヤモンド・オンライン)。
署名簿の縦覧制度は、1950(昭和25)年、地方自治法改正により導入された。当時、政府側は改正理由について署名の適正を確保することが目的だと説明したが、改正に反対した日本共産党の議員は次のように問題点を指摘していた。
縦覧の規定を置いたと申しますことは、私から言わせますと、たとえば自治団体の長に対するリコールの場合などは、長の罷免要求に対する署名簿に署名いたしました者の姓名の署名が、一般の縦覧に供されるというような場合には、署名をする者に対しまして、非常に大きな圧力になりまして、結局公正な署名が行われないじやないかと思われます。私どもはこういう点から、署名権者の権利の行使に重大な影響を與えると考えますので、この点も私どもは反対でございます。
ー衆議院地方行政委員会(昭和25年4月29日)における立花敏男議員の発言
裏を返せば、この署名簿縦覧制度は、署名者の秘密が担保されていないという問題を抱えたまま、70年前に導入され、今日に至っていることになる。
複写・撮影を禁止している自治体もあるが…
現在は、署名簿縦覧の際の「複写・撮影」を禁止している規定を置いている自治体も多い(例えば、鹿児島県阿久根市の規程)。だが、最近行われた町長リコール請求でも、住民が縦覧の際に「署名を確かめたりメモしたりした」と報じられているように、第三者に事実上知られてしまう制度であることは間違いない。
選挙人名簿もかつては同様の「縦覧」制度があったが、2016(平成28)年の公職選挙法改正で廃止され、個人情報保護に配慮した閲覧制度に変更された。地方自治法上の署名簿も、閲覧範囲を大幅に制限するなら、同様の法改正が必要とも思える。
住民投票に詳しく、署名簿縦覧の経験もあるジャーナリストの今井一氏は「縦覧後に署名人に圧力がかかり、署名撤回が続出した事例も過去にあるから、愛知選管が制限を検討していることは理解できなくはない」と話している。
愛知県選管は、制限的な縦覧方法について総務省とも相談しながら検討中で、まだ決定しているわけない、と強調。遅くとも、今回の知事リコール署名の期限(開始から2ヶ月以内)までには決定する方針だという。総務省は愛知県の検討状況を注視している。(進展があれば続報予定)
【続報】愛知県選管、リコール署名簿縦覧で全体の閲覧を認める方針 個人情報保護に限界(2020/9/25)