人権派の弁護士として市民の為に仕事をしていた夫の王全璋がある日突然逮捕された。そして普通の主婦だった妻の李文足は立ち上がった。それから5年、夫は裁判にかけられて有罪。 アメリカと肩を並べる超大国になろうとする中国で、今、何が起きているのか。中国にとどまり取材を続けるインファクトの宮崎紀秀エディターが、この事件を追い続けたシリーズの最終回です。(写真・文/宮崎紀秀)
待ちに待った夫の帰宅を邪魔する男たち
2020年4月5日。ついに王全璋が出所日を迎えた。だが、テレビ電話に出た李文足の表情はさえなかった。
夫は出所したものの、今度は、新型コロナ対策を理由に山東省で隔離されてしまったという。
「今、非常に心配していることは、彼らは感染症隔離の口実で夫に対して長期的監禁を続けることです。隔離は14日だけど、私が騙されているのではないかと心配になります。14日後、夫は本当に自由を得て、北京に戻れるかどうかが心配です」
王全璋が、北京の自宅に戻れたのは、本来の隔離期間からさらに1週間後だった。部屋で、夫の帰りを待っていた李文足は、すでに暗くなった窓の外に人影を認めた。
「あ、あ、何人か上がってくる」
家には李文足の友人、王峭嶺(一斉拘束された弁護士・李和平の妻)や劉二敏(一斉拘束された活動家・翟岩民の妻)らも詰めていた。
「本当に彼なの?」
泉泉が興奮して部屋の中を駆け回った。
李文足が、家の扉を開けると、マスクをつけた王全璋の姿があった。しかし、他にも数人の男たちが付き添っていた。その男たちが、部屋の中に踏み込もうとして問うた。
「部屋の中には何人いる?」
不安気な表情を見せた李文足に代わり、王峭嶺が答えた。
「あなたたちは入らないで。友人たちがここにいるだけよ」
部屋の中を見たいしつこく食い下がる男らに、気丈な王峭嶺がまくし立てた。
「ここは個人の空間だから、通報するよ。(新型コロナウイルスの)特殊な時期だから接触をできるだけ減らさなければならない。早く扉を閉めて」
そんなやりとりの後、何とか男たちを家の外に押し出すようにして扉を閉めた。彼らはその後もなかなか立ち去ろうとせず、しばらく扉の外を撮影する防犯カメラの映像に映っていた。
「パパ、晩ご飯にギョーザを食べよう」
シャワーを浴びて、着替えた王全璋に泉泉が駆け寄った。
「これで、やっと抱っこできるね」
大柄な王全璋は、歩き去ろうとした息子を振り向かせると、ひょいと抱き上げた。泉泉は、飛びつくように王全璋に抱きつくと、少しはにかんで、頭を父の肩に委ねた。王全璋は、何も言わず息子の背中をしばらく撫でていたが、泉泉を下ろすと、今度は、2人の側で泣きそうな顔をしていた李文足に近づき、抱きしめた。李文足が夫の肩に顔を埋めたまま、どれだけ時間が経っただろう。泉泉が「僕を忘れないで」というように2人の腰のあたりにまとわりついた。王全璋が、再び息子を抱き上げると、李文足が右手を泉泉の背中に、左手を夫の首に回し、頬をすり寄せるようにして2人を抱き寄せた。そこで初めて、李文足が笑顔を浮かべた。5年ぶりに家族が1つになった。
王が語った拷問
2015年7月9日を境にした弁護士や活動家の一斉拘束から丸5年。今年の7月9日は、朝から雨だった。
午後、王全璋を自宅に尋ねると、泉泉が駆けずり回る家の中で、彼はひっきりなしに電話を受けていた。李文足は、彼の電話が終わるのを待たせていることをこう詫びた。だが、どことなく嬉しそうだった。
「彼は忙しいんです。毎日掛かってくる電話も多いし、取材も多いし、それから文章を書いたりしている。告訴の準備もしている。だから、最近結構忙しい」
王全璋は、長い刑務所暮らしを経たとは思えないほど、ガッチリした体格を維持していた。肩幅もあり、身長は176センチ以上あるだろう。弁護士というよりスポーツ選手といった方がしっくりくるような堂々たる容姿だった。
その王全璋の身に、この5年間、一体何が起きたのか。
王全璋は正式に逮捕される前に、約1か月間、取り調べで厳しい拷問を受けていた。両手をバンザイするかのように高く掲げて見せ、こう証言した。
「1日15時間、1か月近く上げ続けた。毎日朝6時に起きたらこのように両手を持ち上げる。食事の時だけを除いて、ずっと上げている」
部屋には冷房がかけられ、室温は16度くらいだったが常に全身に汗をかき、両腕は腫れていたという。
「後遺症が残り、今も肩の筋肉が痛い。筋肉を損傷したようだ」
それ以外に、頬を殴られたり、ペンで脇腹を突かれたりもした。罵しられ、侮辱され、顔に痰を吐かれた。
また睡眠の際には、仰向けで体を伸ばし、常に背中をベッドにつけていなくてはならなかったという。寝返りを打ちたくても、体を少しでも動かすと大声で怒鳴られた。ほとんど眠ることはできなかったという。
「睡眠面での処罰も非常に辛いものであった。殴るなど直接的な暴力は受けなかったとしても、そのようにされると死んだ方がましと思うようになる。一番辛かった時、生きる希望すら完全に失った。蝋燭が燃え尽きるように、死に向けて歩んでいるようだった」
極限まで追い詰められた状態。家族のことさえ思い出さなかったという。
「自分がどのように死んでいくのかを待っているようだった。そんな時に、家族のことを思い出すなんて、それは他の人たちの勝手な想像に過ぎない。実際には、何も考えないんだ」
王全璋はそう言うと、大きくかぶりを振った。
3年以上、裁判が開かれない異常事態が続いたことについては、彼が弁護士を選ぶ権利を手放さなかったからだという。
「私本人も弁護士なので、当局側が弁護士を指定するのは絶対嫌だった。当局側は(自分を有罪とする裁判を)演出したかったけど、演じることができなかった」
一斉拘束された弁護士や活動家らで、最終的に起訴されたのは王全璋も含め15人。拘束された者の多くは、1年余り経った頃から、釈放され始めた。実は、王全璋も「罪を認めなくても良い。手続きに協力すれば釈放する」などともちかけられたという。しかし彼はそれを「完全に断った」という。
「面子だけを立ててくれれば、お前の面子も立て釈放してやると。反省文を書けと言われた。私はそれも断った。反省文を書くことを断ったし、謝罪の動画撮影も断った。私の拘束に対しては、警察、検察官、裁判官とも問題があると明確に言っていた」
李文足の1800日に及んだ奮闘は、海外メディアや国際社会の注目を集めた。その結果、王全璋の安全は守られた。妻の闘いが、夫の命を救った。
「裁判官の1人は、あなたはいったい何者なのか?なぜこんな大きな影響力を持ち、こんなに多くの人が関心を寄せているのか?と言っていた。また、留置所の所長は『あなたは留置所のパンダだ、我々の任務はあなたの安全を守ることだ。あなた案件は影響が大きいし、非常に注目されている』と言っていた」
ならば、妻の戦いは効果がありましたね?と問いかけると、王全璋は、微笑んで「効果があった」と何度も頷いた上でこう続けた。
「しかし、私には大きな心配でもあった。妻がトラブルに巻き込まれたり、報復されたりしないか心配だった。彼らも私に暗示していた。だから、臨沂の刑務所にいるとき彼女に面会に来ないように、メディアの取材に応じないようにと言っていたのだ」
李文足にも話を聞こうと思い、夫の横に座ってもらった。彼女は、「ほら、横に座って」と言うように、パンパンとソファを叩き、自分の横に夫を引き寄せた。5年に及ぶ拘束に耐えた王全璋が、そんな妻にニコニコ笑いながら、大人しく従っている様子は微笑ましかった。
「妻がこんなに大きく変わっているとは思ってもなかった。拘束される前、妻は非常に弱い女性で、メロドラマをよく見ていて、あまり社会に関心がなく、現実を分かっていなかった」
李文足はそれを聞き、「今も非常に弱いよ」と夫の肩にしなだれかかって、笑った。
「彼女はずっと私のため声を上げ続け、大きく変わった。成熟し強くなった」
確かに泣き虫だった李文足は、とても強くなった。私が「彼女は本当に努力をしてきたんですよ」と言うと、王全璋は黙ってうなずき、李文足は、「ありがとう。あなたたちの話は私にとって大きな励みになります」と涙ぐんだ。
李文足は夫の横でこう言った。
「彼は家に戻ってきた後、よく自分は私らに悪いことをしたとすまないと言っている。ここでもう1度強調したいのは、そのような考えは捨ててほしい。自分を責めないでほしい」
李文足は、そこまで言うと夫の方を向き直り続けた。
「私たちはあなたを責めない。あなたの責任ではない」
妻の言葉を王全璋はただ黙っていた。
当たり前の生活が突然消える中国
インタビューは2時間に及んだ。その最後に、王はこう言った。
「2016年に弁護士たちが次々と釈放された時、私も楽観的に思っていた。いつでも出られるだろうと。でも、案件にかかわった人たちは自分たちのメンツのため私を監禁し続けたのだ。その点から言うと私は負けた。しかし、別の面で得たものもある。自分の尊厳を保つことができたし、この闘いを通じて周りの人々や社会の支持を得られた。それがまさに大事なことだった」
その夫の言葉を聞いて、李文足は頷いた。子供を諭すように優しく微笑んだ彼女の表情を、私は一生忘れないであろう。
王全璋と李文足の家の壁には、虹の下で家族3人が並んでいる絵が貼ってあった。泉泉が描いた絵だ。2人の大人の真ん中でバンザイをしている子供の頭上には大きなピンク色のハートが浮かんでいた。
家族が共に暮らす。そんな当たり前の生活さえ、ある日、突然消えてしまう。残念ながら中国で人権派の弁護士らがおかれた状況は改善されるどころか、日に日に厳しさを増している。
(宮崎エディターの「中国で起きていること」は今回で終わりますが、【危機の東アジア】は今後も続きます)