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【総理の挨拶文】のり付着の痕跡は無かった(上)

【総理の挨拶文】のり付着の痕跡は無かった(上)

自民党の新総裁に岸田文雄氏が選ばれ、10月4日に開かれる臨時国会で総理大臣に任命されるのが確実となった。菅義偉総理の任期終了が秒読みとなったわけだが、それで全ての問題を忘れるとはならない。その1つが、岸田氏の地盤でもある広島で起きている。あの被爆者を慰霊する式典での挨拶の「読み飛ばし」だ。のりが付着していたから読み飛ばしたという。それは本当なのか?総理の挨拶を1人のジャーナリストが追った。(文・写真/宮崎園子)

「内閣総理大臣・菅義偉」と書かれた横長の紙

 「挨拶」。そう書かれた白い紙の包みの中に、それは入っていた。

 包みを開くと、中から蛇腹状にきれいに畳まれた横長の紙が出てきた。紙は和紙のような薄紙だ。

 そこに、「内閣総理大臣」という文字を認めるのに、時間はかからなかった。

 「令和三年八月六日 内閣総理大臣・菅義偉」

 左端にそう書かれていた。蛇腹の起点となる右端には「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式内閣総理大臣挨拶」。

挨拶状の冒頭

 そう、これがあの菅総理の挨拶文。それが今、私の目の前に置かれたのだ。

公文書開示請求

 広島市公文書館(広島市中区)の一室。9月下旬のある日、私はそこで、ある「公文書」の開示を受けるために、待機していた。その6日前に広島市長あてに提出した公文書開示請求に対する開示決定がされたとの連絡を受けていた。

 私が広島市に開示請求していた公文書とは、まさに、今年の広島原爆の日の8月6日、菅首相が広島の平和記念公園で開かれた平和記念式典で読み上げた、挨拶文の原本そのものだった。広島市情報公開条例に基づき、公文書の開示請求をしたところ、「市民の知る権利を尊重し、市民に公文書の開示を求める権利を保障する等市政に関する情報の公開について必要な事項を定めることにより、市民に説明する責務が全うされるようにし、市民の市政参加を助長し、市政に対する市民の理解と信頼を深め、もって地方自治の本旨に即した市政を推進することを目的とする」とした条例第1条の規定によって、開示が決定されたのだ。

開示決定の通知書

 一国の首相が、広島の原爆死没者慰霊碑前で、世界に向けて発した演説だ。貴重なものだし、ちゃんと扱わねば、と思って白手袋を用意していた。だが、市職員が素手で触って目の前に差し出したため、私も素手で手に取った。

 挨拶文は、A4サイズの和紙のような薄紙を、横に7枚並べたものだった。会議室の横長の会議机からはみ出る長さ。2メートルほどあった。紙と紙の継ぎ目部分は、幅約2センチの同材質の紙を裏側からのりのようなものでくっつけた形状だった。挨拶は縦書きで、3行分ごとに折り畳んである。「御霊」「哀悼」「焦土」「尊さ」などの単語には、丁寧にルビが振られていた。

 なぜ、私はこの挨拶文について公文書開示請求をしたのか。説明を要しないとは思うが、平和記念式典で、菅首相が挨拶の一部を読み飛ばし、その理由について、当日中に「政府関係者」が「のりが付着してめくれない状態だった」と説明したとの報道があったからだ。

読み飛ばし

 あの日、菅首相は、例年の首相同様、原爆死没者慰霊碑の前で総理大臣挨拶に臨んだ。菅首相にとっては、初の広島原爆の日のスピーチ。左手で、背広の内ポケットから挨拶文を取り出して広げ、手元でめくりながら、読み進めていった。

挨拶する菅総理(首相官邸HP)

 その中盤、開始から2分20秒のころ問題は起きた。「日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない核軍縮の進め方をめぐっては」と、意味の通らぬスピーチをしたのだ。

 本来であれば、「『(略)日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします。』と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。近年の国際的な安全保障環境は厳しく、核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります。」と読まれるはずだった。

「核兵器のない」から「核軍縮の進め方」の間が読み飛ばされた

「唯一の戦争被爆国」「核兵器のない世界」という、核兵器問題をめぐる総理大臣の内外のスピーチで必ず言及すると言ってもいい定番フレーズを飛ばしたことになる。

 その様子を生中継していたNHKは、事前に提供される挨拶文をもとに画面に表示する字幕と挨拶が合わなくなり、12秒間に渡って字幕が中断した。地元・中国新聞は式典終了直後の午前9時すぎ、「読み飛ばしか」との見出しのインターネット版の記事を配信した。その後、会場近くのホテルで被爆者団体との面会を終えた後に臨んだ記者会見の冒頭で、菅首相は、読み飛ばしについて「この場を借りておわびする」と陳謝した。

菅総理が挨拶を行ったスピーチ台

のりがはみ出した形跡はまったくない

 本当にのりの不具合があったのだろうか。入念に挨拶文を観察した。

 紙と紙の間を接続する細い紙は、表面ではなくて裏面に貼り付けてある。万が一のりがはみ出したとしても、裏面同士がくっついてしまう構造であるため、蛇腹をめくれない状態になどならない。接続部分をよく見てみると、たるみやシワ、うねり、ズレが何一つなく、ピシッとのり付けがされている。貼り付け部分からのりがはみ出した形跡もまったくない。ましてや、くっついてしまった部分を無理にはがした跡もなかった。

挨拶文は裏側で細い紙で丁寧に貼り付けられている

 丁寧で細やかな仕事ぶりに、思わず口をついて出た。

「めちゃくちゃいい仕事、してますね」

 読み飛ばしや読み間違いは、誰だってあるだろう。それはさておき、広島市民として、私が納得がいかなかったのが、その日の午後6時過ぎには、「のりが付着してはがれず」などと読み飛ばしの理由を説明する「政府関係者」の話が、ツイッターのタイムラインなどで流れていたことだ。まさかそんな粗相、あるのかしら、と。

 同じように憤慨していたのが、私より先に、挨拶文原本を情報公開請求していた、本田博利・元愛媛大法文学部教授だった。翌日7日の新聞各紙で、「完全に事務方のミス」などとする「政府関係者」の釈明を読み、「そんな訳がない」と確信していた。というのも、本田さんは、広島市役所に30年近く勤務した元職員。挨拶文を用意する事務方の役人が、いかに事前に入念にチェックにチェックを重ねるかだけでなく、ある重要な事実を知っていた。それは、挨拶を終えた首相が、手元の挨拶文を、壇上に置いて自席に戻り、そのまま式典会場を離れる、ということだった。

 本田さんは、駆け出しの3年間、式典の裏方として、ハト小屋担当を勤めた。式典では、広島市長が平和宣言を読み終えたタイミングで、平和の象徴であるハトを一斉に放つ演出をする。その任務を果たすため、ハト小屋前からスピーチ台を凝視してきた。だから、来賓は挨拶文を壇上に置いて帰ることを知っていた。

 「挨拶が済んだら、挨拶文は広島市の取得(入手)文書になる。読み飛ばしが発覚した時点で、『政府関係者』はその状態を見られるはずがない。どうして『のりが付着していた』などという説明ができるのか」

 本田さんはまた、1986年施行の市情報公開条例に立案段階から関わり、広島市公文書館の4代目館長も勤めるなど、長く情報公開に携わってきた。挨拶文原本は広島市が保管する文書として公文書にあたると考え、情報公開請求をしたという。

広島市公文書館

 読み飛ばされた部分は、蛇腹の挨拶文で6行分に相当する箇所だった。その6行の周辺の接続部分について、私は同行した元国会議員や元大学教授らとともに、表や裏をくまなくチェックした。だが、のりがくっついたり、その後はがれたりした箇所はやはり、見つからなかった。かがんで挨拶文をじろじろ凝視する私たちを戸惑うような表情で見つめていた広島市の担当者も、「めくることができないようには見えない」「後からはがした事実も見当たらない」との見解だった。

 「こんな情報公開請求は初めてですよ」

 広島市の担当職員は言った。開示にあたり、これが公文書に該当するか、内部で検討したという。その結果、条例第2条2項に規定する公文書に該当すると判断し、開示を決めたという。

下につづく

【筆者略歴】1977 年広島県生まれ。小中学校の大半を香港、高校の大半をアメリカで過ごす。 慶應義塾大法学部卒業後、約2年間の金融機関勤務を経て、 2002年朝日新聞入社。神戸、広島、大阪で災害や原爆・戦争、警察・司法、社会福祉など担当。2017 年に2度目の広島勤務。 2021 年7月退社。広島市内で小学生2人の子育て中。

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