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ゼレンスキーは英雄なのか?【新田義貴のウクライナ取材メモ⑦】

ゼレンスキーは英雄なのか?【新田義貴のウクライナ取材メモ⑦】

「僕はゼレンスキーが嫌いだ」。ジャーナリストのセルヘイはそう言った。ゼレンスキーを英雄視することが当然視されるメディアの状況は日本でもウクライナでも同じだ。彼は英雄なのか?セルヘイの言葉は新田義貴に突き刺さった。(文/写真:新田義貴)

6月26日、ニコポリでの原発関連取材を終えての帰途、クリヴィー・リフという町で遅い食事をとることになった。このウクライナ東部の小さな町はゼレンスキー大統領の出身地である。ジャーナリストでもある通訳のセルヘイに大統領についてどう思うか聞いてみると意外な答えが返ってきた。

「僕はゼレンスキーが嫌いだ。彼は就任当初、親ロシア的な政策を取ってプーチンに付け入る隙を与えた。彼は大統領として国民を守る義務があったのにそれを怠った。だがいまこうした意見をウクライナ国内で大きな声で言うことはできない。」

ゼレンスキーへの疑問を口にしたセルヘイ

ゼレンスキーがコメディアン出身であることはよく知られている。ウクライナ東部出身の彼はロシア語が母語で、ウクライナ語は大統領選に出馬する際に猛特訓を受け公の場で話すようになったとされる。彼は大統領就任前、東部ドンバス地方の分離主義勢力との戦闘やクリミアの問題について、ロシアとの話し合いによって解決するとの姿勢を示していた。ところが大統領就任後、政治経験の未熟さもあって、経済再生や汚職の撤廃など公約を一向に実現できず支持率は下がり続けた。そうした中でロシアとの対話路線から、領土問題を武力で解決する方向に急速に舵を切っていった。これがプーチンの逆鱗に触れたことは想像に難くない。セルヘイが指摘したのはこうした経緯のことだった。

ゼレンスキーはロシア軍の侵攻後、特に西側メディアで英雄のように取り上げられ続けてきた。G7広島サミットでも岸田首相がサプライズゲストとして招き、またたくまに会議の主役になった。こうした動きに僕も戦争当初からずっと違和感を持ち続けてきた。セルヘイの言葉はそうした僕の心に重くのしかかった。

もうひとつセルヘイの指摘で気になったのはメディアの問題である。去年3月、開戦から2週間後にウクライナに入国した僕はテレビのチャンネルを回して驚いた。多くの放送局が猛々しい音楽をバックに兵士たちが果敢に戦っている様子を映し出し、その合間には盛んにウクライナ国旗が団結の象徴として挿入されていた。ウクライナ語が分からないので詳細な内容までは理解できないが、冷静に状況を分析しウクライナ政府当局の戦時対応に疑問を投げかけるような報道にはお目にかかれなかった。

その象徴的なものが開戦直後にゼレンスキー大統領が署名した「国民総動員令」だ。18歳から60歳までの男性の出国を禁止したもので、いわば国家のためにロシア軍と戦うことを成人男性に強制する命令ともいえる。冒頭の写真は最初にウクライナ入りした際にポーランド国境の駅でウクライナから避難してくる人々を取材した時のものだ。そのほとんどが女性と子供とお年寄りだった。その理由がこの大統領令にあったのだ。

この時点でゼレンスキーは9割を超える高い支持率を得ていたが、一方で「自由や民主主義の原則に反する」と訴える人々が、国外出国を可能とする2万5千人の請願書を提出したが、ゼレンスキーは「故郷を守ろうとしていない」と不快感を示し反対している。本来自由主義国家であるならば、個々人の戦わない自由が認められるのは当然のはずである。しかし地元のメディアもこの件に関して大きく報道することはなかったという。

「ウクライナに栄光を!英雄に栄光を!」(ウクライナのテレビ局の画面から)

日本に帰国した僕にセルヘイの言葉が重くのしかかる。彼が指摘するように、こうしたウクライナのメディアの報道姿勢は今回の取材時点でもあまり変わっていないように思われた。このことから、僕は太平洋戦争の時の日本のメディアのことを想起せざるを得なかった。戦時中、ほとんどの日本の新聞やラジオが戦争を支持し、大本営発表の戦禍を誇張して伝え、国民を戦争に誘導する役割を担った。現代から当時を振り返ると、なぜメディアがいとも簡単に自由な報道を捨て、戦時翼賛報道に突き進んでいったのか不思議でならないのだが、ウクライナのメディアの状況はその疑問に対するヒントを与えてくれる。もちろん日本が行った戦争とロシアから軍事侵攻を受けたウクライナの戦争について単純に比較はできないが、いったん戦争が始まると、軍事優先の国家体制や熱狂的な国民世論によって、メディアは自由に報道することが極めて難しくなるということを強く感じることとなった。

セルヘイは今もドネツク州の戦闘の最前線で取材を続けている。SNSを通して彼の動向が連日のように伝えられてくる。彼の安全を祈るとともに、今度会った時には、自国の戦争を報道するジャーナリストとして何を思っているのか、ゆっくりと聞いてみたいと考えている。

(つづく)

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