戦場と化すザポリージャ原発。歴史の教訓から学び続けてきたはずの人類は、再び愚行を繰り返すかもしれない。その新田の不安は原発を前にして戦慄に変わった。(文/写真:新田義貴)
6月下旬、ウクライナ南部で洪水被害を取材していた僕にはもうひとつ気がかりなことがあった。ロシア軍侵攻直後の去年3月から占領下にあるザポリージャ原子力発電所である。出力100万キロワットの原子炉6基を擁するヨーロッパ最大の原発だ。ロシア軍による制圧後、戦闘により送電線が破壊されるなど常にその状況が世界の懸念の的となっていた。さらにカホフカダムの破壊により、原発に冷却水を供給する貯水池の水位が大幅に低下していることも報じられていた。そんな中、22日にはゼレンスキー大統領が自国の諜報機関が得た情報として「ロシアがザポリージャ原発へのテロ攻撃を計画している」とSNSに投稿。ロシア側は「恒例のうそだ」と否定したが、原発をめぐる国際的懸念が高まっていた。
なんとか原発をめぐる状況を取材できないか。そう考えたが原発はロシア軍の占領下で近づくことができない。
狙いを定めたのが、ザポリージャ原発の対岸に位置する町ニコポリだ。ただ、ロシア軍との戦闘が激化する中でこの町での取材は厳しく制限されていた。突破口を探していたところ、通訳のセルヘイがある情報を入手してきた。ニコポリ市当局が主催するプレスツアーが週2回のペースで開催されているという。プレスツアーとは、入域が制限されている地域で軍や当局が主催して複数のメディアを同時に取材させるものだ。
戦時下の対応に追われる当局側にとってはメディアに個別に対応する労力が省けると同時に、メディアを管理することで都合の悪い情報が勝手に流れてしまう事態を防ぐことができる。我々メディアの側にとっては、ツアーに参加することで一定の安全が確保される反面、団体行動で個別自由な取材が制限されるため画一的な報道になりがちというデメリットもある。ただし、今回の場合それ以外に入域できる手段がないため直近のツアーに参加することに決めた。
6月26日朝5時、夜が明ける前にミコライウのホテルを車で出発した。ニコポリまでは5時間の道のりだ。首の痛みが再発しないことを祈りつつコルセットを装着する。ドニプロ川下流のヘルソンでは中州が多く大きな川という印象はなかったのだが、上流に進むにつれだんだんと川幅は広くなっていく。カホフカダムより上流に行くとその川が干上がって底の砂が剥き出しになっているのがわかる。午前10時、集合場所であるニコポリ市の外れにある軍の検問所に着いた。すでに10名ほどのジャーナリストが集まっていた。互いに軽く挨拶をする。ほとんどが地元ウクライナのテレビ局や新聞社で、外国メディアは自分たちだけのようだ。市の担当者の案内で市役所に向かう。中に入ると会議室に通された。まずは市長の会見だという。
カメラやマイクを準備しているとやがてオレクサンドル・サユーク市長が現れた。この時期、ダム破壊の影響でニコポリは断水が続いていて多くの地元メディアの質問はこの一点に集中した。それがひと段落したところで僕は日本から来たことを伝え、原発の現状についての市長の意見を訊ねた。
「市民は大変心配しています。私たちは軍と協力して避難計画を作り、ヨウ素剤を全市民に配布しています。これ以上の情報は軍の管理下でお答えできません。」
会見後、市庁舎の屋上から原発を撮影させてもらう約束だったのだが、この日はあいにくの曇り空で見えないという。担当者と交渉して原発が見える川岸まで連れって行ってもらうことになった。もちろん僕らだけではない。僕らが交渉した結果、他のメディアも一緒に行けることになったというわけだ。
川の近くで車を降り岸辺まで歩いて行く。干上がった川のはるか向こうにかすかに原子炉施設が見える。距離にして7~8キロだという。すかさず原発をバックにスタンディングリポートを収録し撮影も行う。
「ニコポリ市のドニプロ川沿岸からおよそ7キロ先の対岸にあるザポリージャ原子力発電所を見ています。今日は薄曇りで視界が悪いのですがうっすらと原発の施設とみられる建物が見えます。このヨーロッパ最大の原発が現在ロシア軍の占領下にあり、ニコポリの人々は非常に不安 な日々を過ごしています。」
このリポートはTBSの「報道特集」で使われるかもしれない。使われるかどうかは僕の判断ではないが、撮れるものは撮れる時に撮っておく。それもこうした危険地帯での取材の鉄則だと思う。
対岸からはロシア軍による砲撃が頻繁に行われているという。担当者は各メディアのカメラの位置に神経を尖らせながら、早めに撮影を終えるよう促す。
この後、ツアーは市内の学校を訪れた。そこには市民のための臨時の給水所が設けられていた。ポリタンクに水を入れていた年配の女性に原発のことをどう思っているのか聞いた。
「原発がロシアによって爆破されることを恐れています。人類は宇宙に行けるまで進歩したというのに、なぜあの残酷な独裁者プーチンを抹殺できないのでしょうか。」
「抹殺」とは恐ろしい言葉だ。恐らく、ロシア軍の侵略がなければこの女性がそうした言葉を発することはなかっただろう。
僕はウクライナに到着してすぐの6月22日、キーウで原子力専門家のインタビューをしていた。元ウクライナ国家原子力規制検査院理事のオルガ・コシャルナである。南部へ向かう夜行列車に飛び乗る直前の夕方にようやく先方の了解を得ることができ、彼女の自宅アパート前の公園で話を聞いた。彼女はIAEAがロシアに対し弱腰でザポリージャ原発の安全を確保できていないと批判したうえでこう語っていた。
「ロシアはウクライナの反転攻勢を恐れ、いざウクライナ軍が原発に迫れば自らは撤退し遠隔操作で爆破する計画です。もしこれが実行されればウクライナのみならず周辺諸国に深刻な放射能汚染が広がるでしょう。ザポリージャ原発の爆破はプーチンの最後の切り札なのです。」
広島、長崎、福島。放射能汚染の恐怖を経験してきた私たち日本人にとって想像したくもない事態だがザポリージャ原発は核テロリズムの人質に取られているようなものだという。歴史の教訓から学び続けてきたはずの人類が21世紀になった今、再び愚行を繰り返すかもしれない。ドニプロ川の対岸にそびえたつ原子炉建屋を見つめながら、日本でおぼろげに感じていた不安が、僕の中で戦慄に変わった。
(つづく)