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【新田義貴のウクライナ取材メモ2024⑤ 深刻な弾薬不足の実態】 

【新田義貴のウクライナ取材メモ2024⑤ 深刻な弾薬不足の実態】 

8月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻して2年半となった。戦争が終わる気配はない。ウクライナがロシア領内への攻撃に着手したとの報道もあるが、ウクライナが攻勢でロシアが劣勢とも言い切れない。侵略を受けたウクライナを支援する動きは自然なことだ。一方で、ウクライナの現状を冷静に見る視点も必要だ。新田義貴はその現状を見続ける。そして取材メモを書き残す。その5回目。(取材・撮影/新田義貴)
※当初、「ロシア軍がウクライナに侵攻して2年」としていましたが、「2年半」の誤りでした。犠牲となった人々、苦しんでいる人々に謝罪し訂正します。

ウクライナ東部スロビヤンスクに到着した翌朝、2月18 日午前8時、僕らは早速前線取材に出発した。途中の町でウクライナ軍の広報官と待ち合わせ、アレックスという担当者が車に同乗する。そこで、昨夜スロビヤンスクと隣町のクラマトルスクでロシア軍によるミサイル攻撃があったと聞かされた。夜、僕がボウリング場の騒音だと思っていたのは、実は爆撃の音だったのだ。

爆撃現場に急行したい思いを抑えながら、約束していたウクライナ軍砲兵部隊の取材に向かった。前線取材では、僕らが行きたいと思う場所に必ずしも自由に行けるわけではない。特に戦闘部隊の取材は軍の広報官の同行がなければ極めて難しい。この日はウクライナ軍の砲兵部隊の取材だ。スロビヤンスクを出て2時間ほど、チャシブヤールという小さな町を通り過ぎ車は森の中に分け入っていく。

やがてウクライナ軍の砲兵陣地が現れた。前線から約6キロの地点だという。木の枝やネットで覆いカモフラージュした1台の旧式の旧ソ連製の自走榴弾砲が置いてある。実際に砲撃しているところを撮影したい旨を伝えると、この日は曇天で視界が悪く標的も見つからないので砲撃はしないという。その代わりに、砲弾を装着するところを見せてくれるという。

これもメディアに対するサービスなのだろう。ひとりの砲兵が弾薬箱から砲弾を1発取り出し、自走砲に乗りこみ装填してみせた。後部スペースに32発分の収納スペースが見えたが、砲弾が入っているところは確認できなかった。この後、陣地の地下に掘った防空壕に案内された。兵士たちはここで寒さをしのぎながら食事をしたり睡眠を取ったりするという。冒頭の写真がそれだ。気分を紛らわすためなのか、ギターも置いてある。僕らもコーヒーをご馳走になり、兵士たちに話を聞く。

「とにかく砲弾が足りない。もっと砲弾があれば効果的に攻撃できるのに残念だ。一刻も早くじゅうぶんな武器弾薬が補充されることを願っている。」

どの兵士も指揮官も一様に弾薬不足を訴えた。本来であれば軍にとってこうしたネガティブな状況を公にすることは敵を利する可能性があり、メディアに隠したい部分だろう。それをあえて取材させるということは、こうした情報がシェアされることで欧米からの武器支援を得たいという意図があるのだろうと感じた。

砲兵部隊の取材を終えて昨夜の爆撃現場へ向かった。まずは、ロシア軍に占領されているドネツクに代わって現在ドネツク州の州都となっているクラマトルスク。夕方ようやく到着。ミサイル攻撃を受けたのは住宅街だった。何軒もの家が激しく破壊され、瓦礫で埋まった空き地の真ん中に大きな穴が空いている。

瓦礫の中には子供の絵本や人形、女性のハイヒールなど、人々の暮らしが感じられるものが埋まっている。ここでは3名の市民が亡くなったという。48歳の女性と23歳の息子、そしてそのおばあさんと思われる女性だ。いまだ瓦礫の下に埋まっている人の捜索が続いていた。

もう1カ所は僕らが宿泊しているスロビヤンスクだ。爆撃されたのは小学校の校舎だった。僕らのホテルから車でわずか10 分ほどの距離だ。

校舎は激しく破壊され鉄骨がむき出しになっている。ここドネツク州では学校はすべてオンライン授業となっており、校舎での授業は行われていない。かわりにこの学校は「不屈センター」と名付けられた住民支援の拠点となっていた。戦時下で苦しい生活を強いられている人のための無料の食堂や、支援物資の配布、寒い冬に人々が集まって暖を取る場所として使われていたのだ。昨夜は65歳の用務員が泊まり込んでいて犠牲になったという。瓦礫の中から遺体が発見されたのは朝になってから。頭部と腕だけが確認された。校長先生のオレナさんに話を聞いた。

「ロシアはここが支援センターだと分かっていてあえて攻撃したのです。お年寄りや女性や子供を狙ったのでしょう。もうこんな光景を見ることには耐えられません。」

取材を終えると雪が降り始めていた。白くなった校庭を1匹の犬が走り回っていた。聞けば、亡くなった用務員が可愛がっていた飼い犬だという。突然主人を失い、犬も行き場を失って途方に暮れているように感じられた。

(つづく)
(編集長追記)
当初、「ロシア軍がウクライナに侵攻して2年」としていましたが、「2年半」の誤りでした。もとより、ロシア軍がウクライナに軍事侵攻を始めたのは2022年2月24日。それは凍土を戦車で踏み越えてのものでした。編集長として、その誤りに気付かなかった点、反省します。この戦争で犠牲となり、今なお苦しんでいる多くの方に謝罪し、訂正させて頂きます。

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