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【新田義貴のウクライナ取材メモ2024⑥ 戦場取材の鉄則】 

【新田義貴のウクライナ取材メモ2024⑥ 戦場取材の鉄則】 

前線に入った新田義貴。ウクライナ軍の砲兵部隊に密着するが、そこで見たものは限られた砲弾を使わざるを得ない兵士の姿だった。新田は戦場取材の鉄則を破ってその実態を見続ける。(文/写真:新田義貴)

戦闘の最前線のドネツク州に入って4日目の2月20日、僕らはウクライナ軍の戦車砲部隊の取材に向かった。今回もまた軍の広報官が同行しての取材である。

宿泊しているスロビヤンスクを朝8時に出発。チャシブヤールという小さな町を過ぎ、荒涼とした平原の舗装されていない道を四輪駆動車で進む。地面はところどころまだ雪に覆われている。

1時間ほど走ったところで、車を降りるよう指示があった。ここから先はロシア軍に見つからないよう歩いて行くのだという。戦車のキャタピラの跡がわだちになった平原の道をひたすら徒歩で進む。歩いている間も砲撃の音がひっきりなしに聞こえる。

道すがら、木の枝やネットに覆われた砲台のようなものをいくつか見かけた。人の気配はない。聞けば、敵を欺くための偽物の砲台なのだという。

30分ほど歩いただろうか。今度は間違いなく本物の無骨な戦車が目の前に現れた。1960年代に旧ソ連が開発したT-64だ。ウクライナ東部のハルキウ(当時はハリコフ)設計局でソ連軍の新世代主力戦車として開発された。当時、ウクライナがソ連の軍事産業の中核を担っていたことを物語るエピソードだ。

砲塔が向いている先には去年5月にロシア軍に制圧されたかつてのウクライナ軍の要衝バフムトがある。5キロほど先だという。戦車の周りには5~6人の男たちが寒空の下で立ちすくんでいる。一人に話をきくとこう語った。

「砲弾は12発しか装填されていない。本来は28発必要だ。」

ここでもやはり弾薬不足のため、ドローン部隊からロシア軍の標的に関する確実な情報が届かない限り、砲撃はできないのだという。そのドローン部隊は当然、ロシア軍も活用しているのだろう。兵士は次の様に続けた。

「今日はまだ静かなほうだが、敵の偵察ドローンが飛んでいるのが音を聞いて分かる。もしこの陣地を特定されて敵の砲弾が近くに着弾すれば、場所を移動しなければならない。」

彼らは静かだというが、砲撃音はますます激しくなってくる。この状況を考慮すると、ほとんどがロシア軍からの攻撃だと思われる。仕方なく彼らが砲撃するまで待機することに。

本来戦場取材では、なるべく短時間で撮影を終わらせ安全な場所に退避するのが鉄則だ。僕らは取材に来ているのであって、戦いに来ているわけではないからである。砲弾が飛び交っているこのような危険な状況下で、兵士たちと同じく長時間滞在することは下手をすると命取りになりかねない。長年、戦場取材に同行させて頂きいろいろ教えを請うたジャーナリストの大先輩、遠藤正雄さんの顔が頭をよぎる。しかし、兵士たちの話ではこの陣地はいまだロシア軍のドローンに発見されておらず逼迫した危険はないという。ひとまずその話を信じて待つことにした。

とはいえ、もし敵の偵察ドローンを見かけたらすぐに退避することも決めた。待つこと2時間ほど、兵士たちが急に慌ただしく戦車に乗り込み動き出した。どうやらドローン部隊から標的の連絡が届いたようだ。通訳のセルヘイが「耳をふさいで!」と言うが、あいにくカメラを構えているのでふさぐことができない。耳栓を持参しなかったことを後悔する。やがて砲塔が上下左右にゆっくり動き、止まった。一瞬の静けさが辺りを包む。

ドーン!

すさまじい爆音が響く。一瞬耳が聞こえなくなる。しかしすぐに「カランカラン」と砲弾の薬莢が転がる乾いた音がした。耳は大丈夫そうだ。その後、1分ほどの間隔を空けながら計4回の砲撃が行われた。戦車から出てきた兵士たちに何を標的にしたのか尋ねた。

「分からない」

兵士はあっけらかんとした表情でそう答えた。分からない?その答えに戸惑っていると次の様な説明があった。

「ドローン部隊から届いた位置情報を標的に砲撃しただけで、何を攻撃したのかは後からでないと分からない」

何はともあれ兵士たちに礼を言い現場を後に。再び砲撃音の鳴り響く道を戻り、なんとか車にたどり着いた。

帰り道、ウクライナ軍の検問所にプーチンの似顔絵が描かれた碑のようなものがあると聞き、車から降りて確認してみた。検問所は撮影厳禁なので、場所が特定できないように碑のクローズアップのみ撮影を許可された。そこには、汚い言葉を交えてこんなことが書かれていた。

「プーチンはフィロ 地獄の炎に焼かれろ!!」 

「フィロ」とは、ウクライナ語では男根を意味し、「ゲス野郎」、「チンポ野郎」といった意味なのだそうだ。そしてこれが、プーチンの墓標だという。

隣国ロシアに対する憎しみがエスカレートしていることにやるせなさを感じる一方で、ロシアの猛攻に押されながらもこのようなユーモアの効いた碑を作れるうちは、ウクライナ軍もまだ戦う気力を失ってはいないのだろうと感じた。

(つづく)

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