政府は菅義偉前首相が広島市の平和記念式典で挨拶文の一部を読み飛ばしたことに関し、「原因または経緯を調査しない」とする答弁書を持ち回り閣議で決定したという。この問題では挨拶文にのりが付着していたという苦しい言い訳が「政府関係者」の話として報じられた。実はこの問題の深刻さは、それを報じたメディアの側にある。そこで、報じた共同通信にInFactから質問を出したのだが、その回答は日本の残念な現状を物語るものだった。(立岩陽一郎)
反響を呼んだ「総理の挨拶文」報道
この問題は、8月6日に行われた被爆者慰霊の式典で当時の菅義偉首相が挨拶の一部を読み飛ばしたものだ。その日のうちに、一部の報道で「挨拶文にのりが付着していたために起きたもの」とした前首相を擁護する話が報じられた。
これについて広島在住のジャーナリスト、宮崎園子さんが広島市の保管する挨拶文の現物を開示請求して直接見た上で直に挨拶文に触ってのりが付着した痕跡さえ無かった事実を確認。私が編集長を務めるInFactでその事実を「総理の挨拶文」として報じた。
その記事は多くの人に読まれ、加藤勝信前官房長官は記者会見で「のりが付着していたとの話は報道ベースの情報で事実関係は確認されていない」と述べて、「のり付着」の報道を事実上否定した。
問題は確認もせずに報じたメディア
朝日新聞等の報道によると、政府は10月22日、菅前首相が原稿の一部を読み飛ばしたことに関し、「原因または経緯を調査しない」とする答弁書を持ち回り閣議で決定した。 立憲民主党の熊谷裕人参院議員の質問主意書に答えたものだという。答弁書は「のりが付着していた事実の有無について回答は困難だ」としている。
この閣議決定も苦しいのは、現在も広島市が保管している挨拶文を確認すれば「のりが付着していた事実の有無について回答は困難」とはならないからだ。挨拶文の構造上も無理な説明であることを宮崎さんの取材が明かしている。
ただし、この一連の流れで最も問題なのは、誤った情報を流した「政府関係者」ではない。その発言を確認もせずに報じたメディアだ。なぜなら、政府は嘘をつくからだ。それはジャーナリストなら知っている筈のことだ。もし、「政府が嘘をつくわけない」と思っているジャーナリストがいれば、その人は職業を変えた方が良い。
そこで、本題に入る。この「のり付着」の報道を行った1つが共同通信だ。8月6日の21時過ぎに次の記事を配信している。
「政府関係者は6日、菅義偉首相が広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式でのあいさつの一部を読み飛ばした原因について、原稿を貼り合わせる際に使ったのりが予定外の場所に付着し、めくれない状態になっていたためだと明らかにした。『完全に事務方のミスだ』と釈明した。 原稿は複数枚の紙をつなぎ合わせ、蛇腹状にしていた。つなぎ目にはのりを使用しており、蛇腹にして持ち運ぶ際に一部がくっついたとみられ、めくることができない状態になっていたという」
共同通信への質問
この報道について以下の質問を共同通信にメールで送った。
- この「政府関係者」の情報を報じる際に、どのような事実確認をしたのかお教えください。その際、「政府関係者」がどのようにその「事実」を確認したのか、取材の中で確認はされたのでしょうか?もたらされた情報を複数の情報源に確認するというのが基本的な報道に際してのルールですが、そうした確認作業はされたのでしょうか?
- InFactの取材でその「政府関係者」の情報は誤りの可能性が高く、加えてInFactの報道を受けた加藤勝信前官房長官が「のりが付着していたとの話は報道ベースの情報で事実関係は確認されていない」と話して共同通信の記事を事実上、否定しています。これについて共同通信は記者に再度取材の内容を確認されたでしょうか?また、それについて記者はどう答えたのでしょうか?
- 共同通信は現在も8月6日の御社の記事が正しく、InFactの記事や加藤前官房長官の会見が事実ではないと考えているのでしょうか?
- 結果的に共同通信の記事は政府のフェイクニュースの拡散に加担するものになったと言えるかと思いますが、如何お考えでしょうか?
- 「政府関係者」という極めて曖昧且つ無責任なクレジットで政府の見解を報じることの危うさはかねてより指摘されてきました。こうした「政府関係者」などというクレジットの利用について再考する考えは有りませんでしょうか?
「お答えはできない」
送ったのは10月6日。feed-back@kyodonews.jpに送った。これは共同通信が設定している問い合わせ先のメールだ。ところが何の「フィードバック」も無いので直接問い合わせの電話をしたのは一週間後の10月12日。対応した編集局幹部が「質問状が見つからない」と言うので口頭で説明した上で「質問状を再送する」と伝えると、受け取りを断った上で次の様に話した。
「記事に書かれた内容以上にお答えはできない」
それはコメントかと問うと、「そうです」と言った。「これだけフェイクニュースの問題が指摘されている中で、その回答で良いのか?」と問うたが、回答は変わらなかった。
恐らく共同通信はこの「のり付着」の報道を誤報ともフェイクニュースとも認識していない。官房長官が否定し、誤報の可能性が極めて高いにもかかわらず。それはなぜか?「政府関係者」が語ったという事実が有るからという理解になる。平たく言えば、「我々は『政府関係者』が語った内容を伝えただけだ」ということになる。つまり、「政府関係者」が仮に嘘を言った場合でも、それをそのまま流すことは全く問題無いという認識だ。
これでは独裁国家と変わらない・・・とは考えないのだろう。それが日本を代表する主要メディアの見解ということだ。
勿論、これが良い筈はない。InFactがファクトチェックを行っている理由はそこにもある。「政府関係者」にしても「政府高官」にしても、勿論、首相にしても、その発言を垂れ流すのではなく、責任を持って検証するということだ。そして検証した結果を報じる。報道機関として当然のことだが、残念ながら日本はそうはなっていない。これは共同通信だけではない。
ファクトチェックの必要性と新たな動き
この「総理の挨拶文」をInFactに書く際、宮崎さんはファクトチェックを意識していたと言う。ただ、ファクトチェックは機械的な記事になってしまう。宮崎さんの記事が、その取材の細部まで興味深かったため、調査報道の記事として書いてもらった。だから、この「総理の挨拶文」の記事の根底にあるのはファクトチェックだった。
ただし、日本にも若い人の中から希望の灯は見え始めている。10月31日に投開票が行われる総選挙に向けてInFactは「総選挙ファクトチェック」を実施しているが、その主力は同志社大学の学生だ。この総選挙ファクトチェックはInFactも加盟するFIJ=ファクトチェック・イニシアティブが各メディアに参加を呼び掛けて行っているもので、早稲田大学のファクトチェックグループであるwaseggも参加している。また、同じく参加しているJapan In Depthでは慶應義塾大学の学生が主力になっているという。主要メディアで情けない状況が続く中、大学生の中から事実を検証する動きが出ているということだ。InFactはこうした学生の取り組みを後押ししたいと考えている。