ネットテレビとして多くの視聴者を持つ「虎ノ門ニュース」で、レギュラー出演している武田邦彦氏が「PCR法を開発したノーベル賞を取った人がウイルスの特定にはふさわしくないと言っている」と発言した。しかし、こうした発言は確認されておらず、武田氏も根拠を示していない。(立岩陽一郎)
PCR 法を開発したノーベル賞を取った人がウイルスの特定にはふさわしくないと言っている
(武田邦彦氏の虎ノ門ニュースでの発言、2020年7月24日放送)
【根拠不明】 PCR法を開発してノーベル賞を受賞したキャリー・マリス氏が「ウイルスの特定にはふさわしくないと言っている」と言ったことがあるのかどうか調べたが、その根拠とみられる記事には、そのような発言はなかった。
7月24日に配信された虎ノ門ニュースで、中部大学特任教授の武田邦彦氏は次のように発言した。
PCR法を開発したノーベル賞を取った人がウイルスの特定にはふさわしくないと言っていると、一応。これは僕の意見じゃないけど、そういうことが無視されて、PCR検査が一人歩きするとそういうことは問題であると認識しております。
この発言は、武田氏が4月中旬に別の動画で行った「PCR検査は新型コロナの検査にはならない」という発言についてインファクトがファクトチェックしたのに対し、武田氏が自らの見解を説明する文脈でなされたものだ。この番組はユーチューブで70万回を超える再生回数を記録したが、現在は非公開となっている。
「PCR法を開発したノーベル賞を取った人」とは、アメリカの生化学者キャリー・マリス氏(Kary Mullis)のこと。PCR法を開発した功績で1993年にノーベル化学賞、日本国際賞を受賞し、2019年死去している。
武田氏が指摘する通り、マリス氏が「ウイルスの特定にはふさわしくない」と言っているのか調査した。結論から言うと、マリス氏の過去の発言からPCR検査を「ウイルスの特定にはふさわしくない」といった発言は確認できなかった。
同内容の言説は海外でも拡散、ファクトチェック済み
調査の中で、Facebookで武田氏と同様の主張をする英語の投稿があることがわかった。しかし、この投稿は既にロイター通信のファクトチェック班が検証して事実でないとしている。その結果を受けて、Facebookは「一部虚偽の情報」と表示して注意喚起している。
同様の言説について、ポリティファクトや、オーストラリア通信社AAPのファクトチェック班も「誤り」とのファクトチェック結果を発表している。
インファクトでは、このFacebookの投稿について更に調査を進めた。すると、「New York Native」という新聞の記事(1996年12月9日)に引用されていたマリス氏のものとされる発言部分と一致した。
そこには以下のように書かれていた(他サイトに転載されたものを引用する)。
(仮訳)ケリー・マリスは…HIVがエイズの原因ではないと確信しています。ウイルスを数えるためにPCRを使おうとするウイルス負荷テストに関して、マリスは『定量的PCRは矛盾している』と述べています。PCRは定性的に物質を識別することを目的としますが、その性質上、数を推定するのには適していません。ウイルス負荷試験は実際に血液中のウイルスの数を数えるという誤解がよくありますが、これらの試験では遊離感染性のウイルスを検出することはできません。この検査はHIVに特有だとしばしば誤って考えられているタンパク質のみ検出できます。この検査はウイルスの遺伝子配列を検出できるが、ウイルスそのものは検出できないのです。'HAS PROVINCETOWN BECOME PROTEASE TOWN?' By John Lauritsen, New York Native, 9 Dec. 1996
これはマリス氏本人が書いた記事ではなく、記者がマリス氏の発言として引用したものだ。この記事によると、マリス氏は、HIVがエイズの原因であるとの説に疑問を投げかけているが、これはかなり異端の説で、現在の医学の主流の考え方とは異なる(WHOサイト参照)。
それはともかくとして、この記事に出てくる「PCRは定性的に物質を識別することを目的としているが、その性質上、数を推定するのには適していない」という発言は、もともとPCR検査はウイルスのDNAを増殖して検出する仕組みであるがゆえに、エイズ患者の体内にどのくらいの量のHIVウイルスがあるかを調べることには適していないということを説明しているものと言える。
- 大阪大学大阪大学微生物病研究所によるPCR検査についての説明(7月30日更新)
「この検査はウイルスの遺伝子配列を検出できるが、ウイルスそのものは検出できない」という部分も、ウイルスそのものではなくウイルスの遺伝子配列を検出するという、そもそものPCR検査の機能の説明をしているものだ。
一方で、新型コロナウイルスのPCR検査は、既に解析されて共有されている新型コロナウイルスの遺伝子情報に基づいて検出するもので、マリス氏の発言は、そのような方法による検出を否定するものではない。つまり、この記事におけるマリス氏の発言は、PCR検査が「ウイルスの特定にはふさわしくない」と言っているわけではない。ロイター通信のファクトチェック班も、マリス氏の元々の発言の意味がねじ曲げられて伝わっていると指摘している。
発言の根拠は示されず
もちろん、我々もマリス氏の全ての発言を精査することはできるわけではない。そこで、インファクトは、虎ノ門ニュースを通じて武田氏に、マリス氏がそのような発言をしたとする根拠があるのかを質問した。それに対して虎ノ門ニュースは8月7日の放送にて回答するとの返答があった。しかし、武田氏は、この番組で発言の根拠を示さなかった。以下は番組の内容を書き起こしたものだ。
まず、司会者がインファクトからの質問を読み上げている。
はい、ちょっと読ませて頂きますね。7月24日の虎ノ門ニュースにて武田邦彦氏が『PCR法を開発したノーベル賞を取った人がウイルスの特定にはふさわしくないと言っている。と、一応これ、これは僕の意見じゃないけどそういうことが無視されて PCR 検査が一人歩きするとそういうことは問題であると認識しております』と発言されています。武田氏に質問をしたく宜しくお願いします。 PCR 法を開発したノーベル賞を取った人がウイルスの特定にはふさわしくないと言っているとは何を根拠に発言されているのでしょうか。お答え頂きたく宜しくお願いしますと。え、いう質問状をいただいているんですが武田先生いかがでしょうか。
これに応じて、武田氏は次の通り発言していた。
いやまぁ私はね。今コロナってみんな、あの、心配事じゃない。 PCR法と、この頃は抗原検出もあるんですけどね、 やっぱり自分がコロナにかかってるか心配じゃないですか。だからその精度とか、そういうものはもう少しね、僕としてはあの、国民に対して、丁寧に説明した方がいいと。そうしないと、まぁ、国が PCR やってるから PCR 法やればもう絶対に自分がコロナなんだ、というまあ信じてる人もいるのでね。まあそこらへんをアレしてるんで。
結論
「PCR 法を開発したノーベル賞を取った人」すなわち、キャリー・マリス氏が「ウイルスの特定にはふさわしくないと言っている」と言ったことがあるのかどうか調べたが、その根拠と見られる記事には、そのような発言はなかった。武田氏も根拠を示していない。ただ、キャリー・マリス氏の全発言を調べてそのような発言をしていないという証明(悪魔の証明)は不可能だ。よって、「根拠不明」と判定した。
(冒頭写真:アメリカCDCのPCR検査キット=Wikimedia Commonsより)
(インファクトはFIJの新型コロナ国際ファクトチェック・プロジェクトに参加しており、この記事にはFIJのリサーチャーが協力している。)