感染爆発状態からウイルスの封じ込めに成功したニューヨーク。前回、それを可能にしたのは誰でも何度も受けられる検査にあったことを伝えた。それはなぜ可能だったのか?ニューヨーク駐在コレスポンデントの池純一郎が現地からリポートする第二回。「状況を変えた知事のリーダーシップ」。(文、写真ともに池純一郎)
ワズワースセンター
数か月前まで、世界最悪の感染爆発が起きていたニューヨーク。いまや新規感染件数を大きく減らすことに成功し、人々は生活を立て直す手探りを始めている。感染の抑制に大きく貢献したと言われているのが、大規模な検査態勢だ。
ニューヨーク州は、州都オルバニーに1000人超の専門家を擁する医学生物学研究所「ワズワース・センター」を持っている。全米屈指の検査能力をもつ機関だが、2月末の段階で実施可能なPCR検査数はごく限られていた。これを知ったニューヨークのクオモ州知事が危機感を表明、検査能力の拡充に乗り出す。3月、まだ州内の感染者数が100人を超えない段階での話だ。
短期間で検査能力を増強するために取られたのが、検査機能をもつ州内の民間機関を州が独自に認可・監督して、自前の検査ネットワークを立ち上げる手法である。本来PCR検査の実施を認可・承認する権限は連邦政府にあり、検査機関ごとにFDA(アメリカ食品医薬品局)の審査が必要なのだが、この権限をワズワース・センターに一括移譲した。
そして、ニューヨーク州内にある医療・生物学関係の研究機関の中から十分な設備をもつ28の研究所を選び出し、これをワズワース・センターが指揮する体制を整えた。PCR検査が行われるのは、これらの研究所だ。ここへさらに前回紹介したCityMDなど多くの民間の簡易診療施設をむすび、市民が身近な場所で検査のためのサンプル採取や採血を行えるようにしたのである。
クオモ州知事のリーダーシップ
こうした手法でニューヨーク州は、検査件数を1日に数千件から8万件超まで劇的に拡大することに成功した。これらの財源を確保するため、アンドリュー・クオモ州知事は、4月上旬に約40億円の緊急支出を認める法案に署名している。
ニューヨークでも多くの専門家は、検査と陽性患者の追跡だけが感染を減らしたとは考えていない。多大な犠牲と引きかえに行われた強力なロックダウン、マスク着用やソーシャル・ディスタンス確保の徹底といった市民の行動の変化なしに、感染者数の劇的な減少はありえなかっただろう。しかしニューヨーク州政府が大規模な感染検査や、それに基づく感染状況のモニター体制を、感染拡大にストップをかけるため積極的に活用してきたことは間違いない。州内の重症患者数や陽性率は現在も減少をつづけており、これについてクオモ州知事は最近の会見で「データにもとづいたわれわれの経済再開プロセスが順調に機能していることの証しだ」と述べている。
さて、ニューヨーク州で一人目の感染者が公式に確認されたのが3月1日だった。そこからわずか3か月足らず後の5月中には前回触れた感染追跡チームが発足し、それと前後して検査件数も急増し始めている。なぜそんなことが可能になったのだろうか。
多くの地元メディアが指摘するのは政治の力、とりわけクオモ州知事のリーダーシップである。PCR検査をめぐる許認可の手続きは複雑に入り組んでいたが、地元メディアの報道によると、クオモ州知事はペンス副大統領に直談判して膨大な手続きを省略させ、異例のスピードでFDAからの権限移譲に成功した。
これと並行してクオモ知事は、病床数を増強して感染の急増にも備えた。アメリカ海軍が保有する病院船の派遣を取りつけ、州兵を動員して臨時病院を建設した。ホワイトハウスへ乗り込み、犬猿の仲のトランプ大統領と直接折衝することもためらわなかった。このことを会見で記者に問われたさい、知事は、こう応じた。
「彼が私を嫌いなのは知っての通りだ。それがどうした? 大統領と結婚するわけじゃないんだ。仕事ができれば十分だ」
結果としてロックダウンのタイミングが遅れ、ニューヨーク州が一時全米最悪の被害を出したことを指してクオモ知事を批判する声は、アメリカでも聞かれる。もともと州知事に強い権限を与えているアメリカの法体系のもとであっても、集会禁止や営業停止といった重大な私権制限が逸脱なく行われたかどうか、慎重に再点検する必要があることも確かである。しかしまだ感染が限られていた段階で専門家の警告と真剣に向き合い、数か月後を見据えた対策をつぎつぎに立案し実行に移してきた知事の功績は、やはり動かしがたい。
感染増加がもっとも厳しく、文字通り街が静まりかえっていた4月上旬。連日の会見でクオモ知事が発する「ニューヨーカーはタフな人々だ。タフな人間は他人への優しさと思いやりを決して忘れないものだ」といった人間味あふれる言葉に、心を動かされ力づけられた市民は数多い。これもリーダーシップの重要な要素だろう。
「ニューヨークモデル」の課題
新規感染を大きく減少させたニューヨークの経験は、他の州や国のモデルになるのだろうか。急激な検査の拡大に、課題はないのだろうか。
いくつかの問題が指摘され始めている。そのひとつは検査の精度だ。実際にPCR検査を行う研究所は整った設備をもち経験豊富な専門家が揃っているとされるが、市民から分析サンプルを採取する州内無数の施設は、機材もスタッフの技術水準も異なる。中には、過去に保険医療費などの水増し請求で市や国から訴えられた、信頼性に劣る診療施設もある。
加えて前回、検査結果が分かるまで現在では10日ほどかかると述べたが、これも単に「待ち時間が長くなった」では片付けられない問題をはらむ。もし検査結果が陽性だった場合でも、通知されるまでは何も制限なしに街で生活を続けることになるからだ。無症状の希望者全員へ何度も検査を実施することで検査キャパシティが圧迫されている、と危惧する医療関係者の声はアメリカにもある。
ロックダウンで企業の経済活動が止まったことで税収の急減に直面するニューヨーク州政府にとって、検査を含むコロナ関連の対策費は、いずれ重い負担となる。急増した検査の正確性や州政府による費用負担の実態は、今後、第三者の目で冷静に検証されてゆく必要があるだろう。
さらに、ニューヨークが世界の注目を集めていた数か月前と状況は大きく変わった。カリフォルニア州やフロリダ州、テキサス州で新たに感染が急増し、すでに累計感染者数でニューヨークを上回っている。この事態を前にニューヨーク州は、全米50州のうち実に30以上の州を対象として、ニューヨークへ来るさいに2週間の自主隔離を求める方針を打ち出した。州境で抜き打ち検査を行うほか、要請に従わなければ2000ドル(約20万円)の罰金を科すのだという。
しかし大西洋からナイアガラの滝までつづく長大な州境を完全にシャットダウンすることなど不可能だし、地続きの国で1州のみが物流や人の往来を拒んで孤高を守れるはずもない。ひとつの州だけで検査態勢を整備して感染を抑制する手法は、新たな段階へさしかかりつつあるのだ。
次回はこの連載を執筆した池純一郎に編集長の立岩陽一郎がニューヨークの最新状況やクオモ知事の対応について問います。