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【コロナの時代】弁護士・金塚彩乃のフランスからの帰国② ピンク色の警告書

【コロナの時代】弁護士・金塚彩乃のフランスからの帰国② ピンク色の警告書

日仏で弁護士資格を持つ金塚彩乃はフランスが日本からの入国制限を無くしたことで久しぶりにフランスに滞在。そして帰国したのだが、その際に羽田空港で検査を受ける。それは実に不思議な体験だった。シリーズで伝える「弁護士・金塚彩乃のフランスからの帰国」。第2回は「ピンク色の警告書」。(文、写真ともに金塚彩乃)

空港での検査

飛行機は予定より少し早く羽田空港に着陸。少し待たされてから飛行機を降りることが許された。

ボーディングブリッジを降りて検疫検査に向かっていると、途中に係官が立っていた。

「検査の手順です」

そう言って紙を渡された。

そこには、これから受ける検査の手順が英語と日本語でまとめてあった。手順を説明する図も別に渡された。

検査の順序が日本語と英語とで書かれた説明書

実際、ここに書かれた手順に従って検査が行われた。そのスタートは143ゲートだった。

先ずはその143ゲートに誘導された。そこに行くと別の係官がおり、この後の流れを説明された。

そして142ゲートに移動。前日の7月29日からPCR検査ではなく、唾液による抗原検査だということだ。これだと30分ほどで検査結果が出る。勿論、鼻の中に長い綿棒を入れられることもない。より簡単で時間もかからないということで一安心だ。

142ゲートには、唾液採取用の入れ物を渡す係官、ブースに誘導する係官等かなりの人数の検疫官がいた。いずれも若い人たちばかり。

「きっと内心は怖いんじゃないかな、大変な仕事だなぁ」

そう思って係官を見ていると、実に丁寧で無駄のない動作だ。感心していると、5センチくらいの細い試験管の先がとがったような入れ物を与えられた。唾液を入れる入れ物だ。

そして、選挙の投票所にあるような仕切りのある個別のブースに入り、そこで唾液の採取。ブースの中の台には、プラスチックの使い捨ての漏斗が置いてあり、それを入れ物の上に差し込んで使うようになっている。ふと目の前の壁を見ると、そこに漫画のレモンの絵が貼られていた。

「ああ、これを見て・・・」

なるほど、と思ったが、かわいいけれど唾液が出るにはあまりに漫画っぽ過ぎるかと思った。勿論、これは個人差が有るだろう。それに、少しでもスムーズに唾液が出るようにとの担当官の心遣いは伝わってきた。

公共交通機関を使いませんね?

検体を提出すると次は141ゲートに進む。列を作って、順番に「書類審査」を受ける。担当者は5,6人いただろうか。事務机に座り、丁寧に乗客の書類をチェックしている。

ここでは機内で書き込んだ質問票と申告書についてのチェックが行われた。まずは、質問書のチェックである。必要な記載事項があるかどうかをチェックされる。滞在していた国。フランスを乗り換えのために通っただけでなく、滞在をしていたかどうかを質問された。すでに質問書で回答していたが、体調に変化がないかどうかも質問された。ここにも自宅に帰るかどうか、公共交通機関を使わないことを申告させられる欄があった。

質問書の確認が終わると、次は申告書の確認だった。申告書にどこまで書く必要があるのかがわからなかったので、私は待機場所としては「ホテル」とだけ書いていた。すると、具体的なホテルの名前を聞かれた。答えるとそれを担当官が書き込んだ。その後、担当官が口頭でホテル名を繰り返し、そこに滞在することを確認した。当然、私は「はい」と答える。すると担当官はこう尋ねてきた。

「ホテルまではハイヤーということでいいですね?予約はしてありますか?」

私も笑顔を絶やさずに、「はい」と答える。

「ホテルから自宅に帰る時も公共交通機関を使いませんね?」

これもまた笑顔を絶やさずに、「はい」と答える。丁寧だけれども、有無を言わさない雰囲気だった。ここで、求められている内容を記載した申告書を提出しないと検査結果を聞く次のゲートに進めない状況だった。

しかも、申告書には、「署名(楷書記載)」が求められ、「必ず連絡の取れる日本国内電話番号」も記載しなければならない。この記載も確認される。これはいよいよ申告書の内容に違反をしたら呼び出しを受けそうな雰囲気である。

申告書と一緒に綴じてあった「入国される方へ検疫所よりお知らせ」という紙もチェックされた。

ここにも、申告書と同じようなことが繰り返し書いてある。

使ってはいけない公共交通機関の説明まで書かれている

「入国した次の日から起算して14日間は指定された場所で待機していただき、①~⑤のように行動してください」と書かれ、 ①として「指定された場所から14日間外出せず、人との接触をできる限り控えてください」、②として「公共交通機関を使用しないでください」と書かれている。

この「公共交通機関」については「不特定多数が利用する電車、バス、タクシー、国内線の飛行機など」と書かれている。また帰国後の滞在先についても書くようになっている。

そして、この記載欄に書いた事項が申告書に書いた滞在期間と待機場所と合っているかどうかはチェックされる。

質問書に漏れがないこと、申告書とこの「お知らせ」と題する文書にも必要事項が記載されていること、やり取りの結果私が記載したとおりハイヤーでホテルに行き、14日間待機するらしいということを検疫官が確認できた段階で、ようやく次のステップに進めることとなった。質問書と申告書はここで検疫官に提出となる。

検査結果は「陰性」

書類審査の後は141ゲートのエリアで、ソーシャルディスタンスを取りながら、椅子に座って番号を呼ばれるのを待った。フランスでは気を付けていたし、人が多いエリアにいた時間もそう多くなかったことから大丈夫だろうと思いつつ、一抹の不安はある。

「検査結果が陽性の場合」と書かれた説明文

「もし万が一陽性となったらどうしよう。仕事や家族との再会はいつになるんだろう。一緒にいたフランスの家族は大丈夫だろうか」

そのようなことを考えながら落ち着かない気持ちで待っていたが、その後1時間弱で番号を呼ばれ、次の140ゲートに移動。検査結果を通知された。

「陰性」。

まずは一安心。

この結果の書いたシールを担当官が書類審査で内容を確認されていた「お知らせ」の紙の左上にぺたりと張った。

検査結果を告げられたカウンターの左手に担当官が1名事務机の向こうに座っていた。最後のゲートを離れる前に、再度移動手段の確認が行われる場所である。

「ハイヤーで移動ということでいいですね」

「はい」

「もう乗れる状況になっていますか?」

「もう運転手さんが待機してくれているようなので大丈夫です」

そう明言することを求められた。不思議な体験だった。やり取りは丁寧で大変事務的ではあるが、それだけに威圧的に感じられ、他に移動の選択肢があるようには思えなかった。とてもじゃないが、「マスクをして人との距離をとるなど気を付けながらモノレールに乗って帰ります」などといえるような雰囲気ではなかった。

これは当然、私だけではない。私の前に並んでいた親子連れが「ハイヤーで帰る」と係官に伝えると、子供たちが「ハイヤーって何?何?」と両親に質問していた。印象的な光景だった。

「確かに、タクシーは乗っても普通ハイヤーには乗らないよね…」。

ピンク色の「警告書」

これが終わると、検査結果の貼られた、滞在期間と待機場所を記入させられていたさっきの「お知らせ」の紙と、ピンク色の紙をもって、やっと入国審査に向かう行うことになる。

このピンク色の紙は一種の警告書のようなものだった。ダメ押しのように次の言葉が赤字で書かれていた。

「公共交通期間の使用は不可です。」

「指定場所から14日間外出せず、人との接触を可能な限り控えてください」

ピンク色の警告書には赤字で「公共交通機関の使用は不可です」とある

滞在期間と待機場所を書かされた申告書と「お知らせ」の紙。そのうちの「お知らせ」の紙はこのピンク色の紙と一緒に持ち帰ることになる。

「自分で記載した内容を反故にするのは倫理にも反するような気がし、そのためにわざわざ自分で書かせた紙を持ち帰らせるのか・・・」。

係官に2回も確認され、さらにはこんなピンク色の紙に「公共交通期間の使用は不可です。」「指定場所から14日間外出せず、人との接触を可能な限り控えてください」などと書かれると、これを破った場合には、懲役刑といった厳しい罰があると思わせるに十分だった。

とにかく分かったのは、帰国者は日本入国後は決して公共交通機関に乗ってはいけないということ、14日間は待機場所から出てはいけないというであって、これを破ったときには大変な処罰が待っている、ということであった。

空港ロビーに出て感じた違和感

検疫での検査は圧倒的にスピーディで無駄がなかった。段取りも計算されつくされていて、さすが日本のシステムというスムーズさであった。係官の役割分担から、作業フローまで整えるには、かなりの時間と労力がかかったことだろう。

「この検査はフランスだったらどれくらい時間がかかっただろうか・・・」

そんなことを考えて「これで入国審査だ」と思って愕然とした。当初連れていかれたのが142ゲートで、ここは入国審査の場所までは一番遠いゲートだったこと。検査後ここからかなりの距離を歩いて入国管理官が管轄する場所に向かった。コロナ対策からか、通常置いてある手荷物を運ぶ用の小さなカートも見当たらない。重い荷物を抱えて延々と歩いた。

そして、入国手続き・・・私にとっての帰国手続きが終了した。時計を見ると、飛行機を降りてから2時間くらい経っていた。

ホテルは職場すぐそばに待機場所として予約していた。フランスからインターネットで予約済みである。原則として職場にはいかない予定であるが、職場に人がいない時間に必要書類を取りに行ったり、万が一の緊急の案件に備えての判断だった。

さて、ホテルまでのハイヤーだが、厚生労働省のHPに載っている「基準を満たすハイヤー」を利用するほかない。タクシーだと6、7000円でタクシーで来られる距離だが、当然、1万6000円がかかった。14日間のホテルも当然、自己負担である。

「仕方ない。しかしあれだけ外出等の禁止を告げられていたので、本当に気をつけないといけない」

多少ではあるがこれまで感じたことない緊張を感じつつ、バゲージクレームでスーツケースを受け取って税関検査を終えてロビーに出た。

「あれ?」と思った。それまでの緊迫した時間の流れが嘘の様な日常が広がっていたからだ。

普通にモノレールは動いている。リムジンバスも営業しているし、チケットを売るカウンターには複数の従業員がいる。

「あれだけさんざん公共交通機関を使わないことを約束させられたのに・・・」

空港ロビーには普通に公共交通機関の案内が出ている

恨み節も言いたくなる。どこまで本気で検疫で約束したことを守らせようとしているのか全く分からない。

ともあれハイヤーの待っているタクシー乗り場の方に降りていくと、特別のハイヤーではない普通のタクシーもたくさんとまっていた。中の世界と違って、外の世界は完全に通常運行している。誰かが監視しているわけでもなく、結局公共交通機関は乗ろうと思えばいくらでも乗れる状況である。

「このギャップは一体何なんだろう?」

このアンバランスさを見て、なんともここでも釈然としなかった。ともあれ、私は待っていてもらったハイヤーに乗り込んで、予約していたホテルに向かった。

そしてホテルの部屋での14日間の「待機」が始まる。

(つづく)

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