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【コロナの時代】弁護士・金塚彩乃のフランスからの帰国⑤ 「子供だまし」な厚生労働省の対応

【コロナの時代】弁護士・金塚彩乃のフランスからの帰国⑤ 「子供だまし」な厚生労働省の対応

フランスから帰国した弁護士・金塚彩乃は、外国から帰国した人を対象とした隔離政策について考える。そこに見る日仏の違いとは何か?そこから見える日本の現実とは?(写真、文/金塚彩乃)

帰国してからの法的根拠の無い隔離の「強制」・・・このような状況を目の前にする時、思い起こされる言葉がある。フランスのジャック・トゥーボン前人権擁護官・元法相の言葉だ。2020年6月10日にフランスのテレビ局France 24に出演して次の様に話した。

「2半世紀半にわたり私たちが勝ち取ってきた自由と基本的権利は恐怖によって浸食されることがあってはならない」。

更にこうも。

「真実と知識なくして私たちの民主主義は存続しない」。

つまり、新型コロナウイルス対策は、自由と基本的権利の制約のために必要となる手続きを否定することを正当化しないということだ。ウイルスが怖いからといってルールを無視してしまえば、これはまさに恐怖による自由と権利の浸食になるということだ。

感染拡大の防止は重要だ。それを否定するものではない。しかし、そのための自由の制約には限界が設けられるべきだ。

「真実と知識」。

そう、その限界の判断のために必要なのは、まさに真実と知識でなければならない。

なぜか?それは私たちが民主主義社会に生きているからだ。その社会では、自由の制約を必要最小限度のものとするための線引きは具体的な事実と専門的知見に基づいて行われなければならない。

隔離生活が終わって間もなくの10月12日からまた一週間フランスに行った。その帰国時にもらったのが次の紙である。

2回目になると、慣れたものだ・・・と思う自分が少し悲しいが、質問書をよく見てみた。

志桜里ちゃん・・・否、山尾志桜里議員から厚生労働省が質問書を修正したようだと聞いていたからだ。

「本当だ」

確かに8月と比べて体裁が変わっている。

20年10月17日に受け取った質問票

前の紙は以下のとおりだった。

20年8月に受け取った質問票

何が変わったのかというと、以前は日本滞在中に関し、「A自宅 Bその他」、そして「C公共交通機関の使用なし」となっていてこれに対してチェックをする形となっており、この申告と異なった場合は罰則適用になるように書いてあった。

この罰則適用について山尾議員が厚生労働省に問い合わせたところ、上記のとおり間違いを認めたものだが、それによって変わったのは滞在場所について質問形式にすることだった。つまり「日本での滞在先はどこですか」と質問をして「ホテル」等と答えさせ、「公共交通機関を使用せず移動する手段を確保していますか」と質問をして「はい」と答えさせるというものである。

これを読んでも、「何が問題なのか?」と思う読者もいるかもしれない。説明したい。

検疫法は、質問に対して嘘の回答をすることを処罰する。しかし、その質問というのは本来検疫の場所で(例えば空港などで)、その際の症状を確認したりすることに目的があり、その際に熱があるのに虚偽申告をして日本に入ってしまって感染を拡大させたら問題だろう。だからその時点の状況についての嘘を罰するのは合理的である。

これに対して、検疫をする場を超えてどこに滞在するか、しかも14日間という長い期間の生活状況の監視までも罰則の対象とするということは本来検疫法が予定しているものとは考えられない。しかも、質問に記入した時点ではずっとホテル滞在をするつもりが何かの都合があって外出しなければならなくなったら、どの時点をもって虚偽の回答をしたというのだろうか?大体食事はどうするのか?最低限の生活はどうするのか?

通常は回答のときに嘘をいうのでなければ罪にはならない。例えば人からお金を借りた時、返すつもりもないのに返すつもりがあるかのように振舞ったら詐欺罪になるが、借りた時に返すつもりはあったがその後お金がなくて返せなくなったときは詐欺罪にはならない。

公共交通機関についても後日どうしても使う必要が出た場合はどうだろうか。結局14日間一切の外出を認めないのであれば、ストレートにそれを禁止する法律が必要になるのである。そしてその法律は、きちんとした立法事実(その法律が必要となる具体的な――ここでは科学的知見も含むだろう――事実)を前提とした上で、どの範囲まで自由を制約するかという適切な議論の上に作られるものでなければならない。法治国家であれば、その法律による自由の侵害が行き過ぎたときには、裁判所がその法律が憲法に違反すると判断することとなるだろう。もちろんそのためには、政府や国会と対峙することも厭わない、権利救済をためらわない裁判官の存在も必要になるが…。

結局のところ「自己申告」について罰せられないので、新しい質問票で形だけ質問にして質問に対する虚偽回答を罰することにしたものの、法律の趣旨からも構造からも完全にかけ離れてしまっている。

ご存知かと思うが、犯罪の場合であっても裁判官の命令なくして拘束されない。その勾留期限だって10日だ。20日になるのは裁判官が再度勾留の必要を認めた場合だけだ。しかも、大事な点は、こうした隔離が強制されるのは、私も含めて抗原検査で陰性と認められた人だ。

誤解されている人もいるかもしれないが、この段階で陽性であれば、この隔離対象者ではなく、病院に行かねばならないだろう。つまりこの段階で感染が確認されていない人を、念のために隔離するということだ。それが、この紙1枚の記入で自由が奪われることのアンバランスさが問題にならないのは一体なぜだろう?

本来14日間の自由を国が強制力をもって制約するのであれば、その滞在費を公費負担にするとか、滞在に適した場所を提供するとか、不服申立ての手続きを整えるなどの様々な準備が必要となる。この点を無視して、検疫法のトリッキーな記載の変更だけでは当然不十分だ。

以前の質問票の問題に対する山尾議員の指摘には厚生労働省は速やかに答えたものの、対応の中身は「自己申告」を「質問」の形に整えただけだ。法の趣旨すら掘り下げて検討していないかのようである。こういうのを子供だましと言う。このような方法で何らの権利保障も検討せず私たちの自由を14日間の長きにわたり制約できると考える日本の行政についてはやはり大きな不安を禁じ得ない。そして、本来そのことについて唯一の権限を持つ立法府は一体何をやっているのだろうか?

この「監禁生活」の不条理さは、デイリースポーツ紙 (2020年10月26日付) で紹介された辻仁成氏の状況によくあらわされていた。

「『ロックダウンを3、4、5月に経験しているし、日本だし全然大丈夫と思って、トランクいっぱいに食料やいろんな物を持ってきたが3日目ぐらいからドーンと落ちた』と誰にも会えない一人きりの生活は相当こたえた様子。さらに厚生労働省から「COVID-19指定地域滞在歴あり」という黄色い紙を渡されると言い『犯罪を犯したみたいな…』『法的拘束力はないが、これを渡されたら(外には)出られない』ともコメント。さらに毎日、厚労省から様子をうかがうLINEが届くというが『AIなので、毎回(文書が)同じ。一回返信したんです、お弁当を買いに行っていいですか?って。するとまた同じ文が返ってくる。この回答以外できませんって』と、機械的な文書も気分を落ち込ませたという」。

住んでいる国から母国に一時帰国をして、抗原検査が陰性であっても「犯罪を犯したみたいな」思いをさせられる。辻氏は「法的拘束力はない」と理解している。ただし、上述の謎の検疫法の解釈により一定の罰則を科せられることになっている。理屈を詰めていけば解釈に無理が有るとして辻氏の言うように「法的拘束力がない」となるかも知れない。一方で、残念ながら日本の裁判所が行政のやり方を違法と判断する勇気があるとも思われない。

例えばオーストラリアなどでは帰国後14日の間、国が用意した施設に滞在するが、看護師やカウンセラーもいて、健康だけでなく隔離生活の精神的サポートもされると聞く。

しかしこの国では外国にいたこと自体が罪であるかのように自費で隔離された挙句、放置されてしまう。私も一回目の隔離は物珍しさがあったことで乗り切ったが、正直2回目の今回は非常にこたえる。一人ネガティブな感情ばかりが出てきてしまう。不安定になりフランスにいるパートナーにどれだけ迷惑をかけたか…。

陰性でこの処遇だ。ましてや陽性であったら本当に罪人のような思いをさせられるのではないか。2回目の隔離生活でさらに恐怖を感じる次第だ。

私は再びジャック・トゥーボンの言葉を噛みしめる。

「2半世紀半にわたり私たちが勝ち取ってきた自由と基本的権利は恐怖によって浸食されることがあってはならない」。

「真実と知識なくして私たちの民主主義は存続しない」。

そして思う。

日本が法治国家となるには、まだ道のりは長そうだ。

(今回で「弁護士・金塚彩乃のフランスからの帰国」はおわりです)

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