日仏で弁護士資格を持つ金塚彩乃はフランスが日本からの入国制限を無くしたことで久しぶりにフランスに滞在。そして帰国したのだが、公共交通機関を利用しないよう指示された上でホテルで2週間の待機を余儀なくされる。そこにどのような法的根拠は有るのか?シリーズで伝える「弁護士・金塚彩乃のフランスからの帰国」。三回目は「根拠なき『強制』」。(文・写真/金塚彩乃)
ホテル待機
かくしてホテルの部屋での14日間の「待機」が始まった。滞在ではない。「待機」だ。滞在なら自由に外出できるが、これはそうではない。不自由と言って、これほどの不自由も無い。しかし、この時期にフランスに行くというのは私自身の選択だ。一定の不自由があることは仕方ないと思った。
「考えてみれば、14日間もホテルに缶詰めになる経験は無いんじゃないかしら」
フランスから買い込んできた本をトランクから出してベッドわきに並べてみた。
「読書の時間が通常よりは取れるかな、それはそれで得難い時間かも」
そう思って、少し前向きになった。
検疫法
しかしそうはいっても不自由の「不」の字が重くのしかかる。運動不足になることもこの上ない。家族にも会えず、お客さんと会議もできず、友達と会えず、一人で動くにしても映画もプールも美容院もネイルサロンもエステもいけない…書店は、フランスで買い込みすぎたので行かない方がいいが。
日本国憲法は書いている。
13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
22条
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
そう考えると、ふつふつと疑問が湧いてくる。どのようなルールでこの不自由な生活を私やほかの帰国者は経験しているのだろうか?気になってきた。
「ハイヤーって何?」と母親に尋ねた子を思い出した。会社が払ってくれる企業の役員ではない。普通の家族が、なぜにわざわざ高い運賃を払ってハイヤーに乗らねばならないのか?その法的な根拠はどこにあるのか?
検疫で提出した申告書には、検疫法に基づいて罰せられると書いてあった。刑罰があるというのであれば、緊急事態宣言下の外出自粛よりも厳格だ。
「検疫法はどのような言葉で帰国者に待機を命じているのかしら?」
これが新型コロナ対策であるとしたら、いつ検疫法の法改正は行われたのだろう。しかし私はホテルから出られない。
事務所に電話をした。オフィスマネージャーが出たので頼んだ。
「弁護士会図書館に行って検疫法の本を借りてきてくれない?」
有能な彼女は戸惑いを見せることもなく、直ぐに霞が関の日本弁護士会へ行ってくれた。そして連絡が有った。
「検疫法自体の本はありませんでした。少し検疫法に触れられている本でも2004年のものと相当古いものでした」
なるほど、これでは文献調査はできない。彼女に礼を言って電話を切った。
文献が見つからないくらい身近ではない法律。それではと、条文を当ってみた。すると、公共交通機関を使うことを禁止したり、待機しなければならないと定めた条文が存在しない。
妙な話だ。私が空港で滞在先を記載させられて提出した申告書には、公共交通機関を使わない、待機場所から出るとかなり重い刑罰が科される可能性があると書いてあった。これは「検疫法36条に基づく」とも書いてあった。この36条は、一定の場合に検疫法上のルールを破ると、罰金か懲役刑と書いてある。これは弁護士の私でも怖いと感じる。
36条自体は、船の船長等が検疫の調査を妨げたりしたような場合の罰則を定めている。私の様な一般の渡航者の場合には、検疫法12条と18条に違反をしたときに、この36条で罰せられるとなっている。
12条と18条には次のようなことが書いてある。
検疫法12条
「検疫所長は、(…)必要な質問を行う」ことができる。
検疫法18条
「検疫所長は、(…)旅券の提示を求め、当該者の国内における居所、連絡先及び氏名並びに旅行の日程その他の厚生労働省令で定める事項について報告を求め、(…)当該者の体温その他の健康状態について報告を求め、若しくは質問を行う」ことができる。
そして、厚生労働省令では、これに加えて年齢、性別、国籍、職業、検疫感染症の病原体に感染したことが疑われる場所を報告させられることとなっている(検疫法施行規則6条の2)。
検疫法12条は、例の空港で渡された質問票に基づく内容であろう。自分の連絡先や感染が疑われる人と一緒にいたか、自分に何らかの症状がないかを聞かれるのは検疫の性質上当然だろう。また、これに対して虚偽の回答をしてはいけないことはわかる。
これに加えて、連絡先や旅行の日程、どこか感染症にかかりそうな場所にいたかどうかを報告させること(18条)やこれについて嘘を言ってはいけないのもことの性質上、理解できる。また、到着の時点において体調不良や疑わしい症状があれば隔離や治療が必要になるであろうから、その情報を提供するのは当然かとも思う検疫所は日本到着後の健康状態について質問ができきる・・・これも感染拡大予防の観点から頷ける。
「・・・しかし」。
編集長とのオンライン会話
そう思っている時、インファクトの編集長からオンライン通話で連絡が入った。フランスから帰国したということで、その帰国の時の状況を書いて欲しいとの要望だった。私はこれまでの経緯とともに、検疫法を調べている点を簡単に説明してみた。入国時の状況については興味深そうにきいていた編集長だが、検疫法への反応は鈍かった。
「検疫法ねぇ・・・」
サラリと流そうとしたので、私は続けた。
「加えて、入国後に症状が出た場合には、その時点で速やかに適切な措置を講じることは必要だと思います」。
大阪にいる編集長は黙って聞いているが、私に連絡したことを後悔しているようにも見えた。私はなおも話し続けた。
「これとは異なり、感染者とは判定されていませんが、『感染の疑いのある』帰国者に関しては、検疫法上『停留』という措置があって、一定の場合には状況がはっきりするまでの間、飛行機の中あるいは空港で待機させることができるとなっています。検疫法の14条1項2号です」。
編集長は「その辺は割愛して・・・」と言いそうな顔をして聞いている。
「でも、検疫法のどこを見ても、停留の措置も取られず、そのまま日本への入国が認められた私のような、抗原検査陰性・・・つまり感染が確認されていない帰国者に対して行動を制約するような規定は見当たらないんです」。
この時、編集長の顔に興味を示すサインが現れた。
「え?根拠無いんですか?」
「ええ」
それだけではない。私は空港からハイヤーでホテルまで来ている。私だけではない。私の前にいた家族もハイヤーを頼んでいる。公共交通機関の利用を禁止しているからなのは既に説明した。
「ましてや公共交通機関の使用禁止や待機場所からの外出禁止を読み込むことはできません。禁止規定がない以上、禁止の違反もあり得ませんし、違反への罰則も考えられない筈ですよね」
編集長は、「金塚さん、ハイヤーって、自分で払うんですか?」と尋ねた。
「はい。ホテルも何も、当然そうです」
「へぇー、そうなんですか」
編集長はそれを書いて欲しいと言ってパソコンの画面から消えた。私は、再び一人で考えた。
つまり、分かったのは、飛行機の中から刑罰を想定した紙に記入をさせられ、検疫所でも繰り返し確認されて怖い思いをさせられたが、実際には、帰国者の日本入国後の行動について私たちを処罰する法律はないということである。しかし、現実には、法律はないのに、帰国者は、申告の違反は刑事罰を科すと脅されて、高いハイヤーに乗って、ホテルの部屋で14日を過ごすのである。仮にそれが貴重な読書の時間になったとしても、それは別の話だ。
(つづく)