WHO(世界保健機関)の事務局長として新型コロナウイルス対応を行っていたテドロス事務局長が、「WHOは新型コロナウイルスパンデミックの際、誰にも何も強制していない。」と発言した。これに疑問の声が出たため検証したところ、確かに、形式・実質の両面において、WHOが各国政府に推奨する感染対策を『強制した』といえる明確な事実はなかった。(補足意見あり)
対象言説
Let me be clear: WHO did not impose anything on anyone during the COVID-19 pandemic. Not lockdowns, not mask mandates, not vaccine mandates.・・・the decisions are theirs.(はっきりさせておきます。WHOはCOVID-19パンデミックの最中、誰にも何も強制していません。ロックダウンも、マスクの強制でも、ワクチンの強制もしていないのです。・・・決定は政府が行うものです。)
結論
【ほぼ正確】
新型コロナウイルスに関しては、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」が宣言されたが、「緊急事態」が宣言されたとしても、WHOが推奨する勧告について強制力ははない(参照、「暫定的勧告〔第15条〕」)。
また、WHOによる、推奨する感染対策の積極的な周知によって、各国政府の感染対策が、事実上、WHOに強制されたものになっていなかったかも調査したが、そう言える明確な証拠はなかった。
公衆衛生に関する国際機関であるWHOの勧告には強い影響力があるものの、WHOの勧告に従うか否かは、あくまで各国政府の判断に委ねられている。
したがって、InFactとしては、この点についてのテドロス事務局長の発言を「ほぼ正確」と判定する。
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ファクトチェックの詳細
発言の詳細は?
テドロス事務局長は、エチオピアの保健相などを歴任した後、2017年にWHO事務局長に就任し、新型コロナウイルスパンデミックの対応に務めた人物だ(参照)。
今回の発言は、「the World Governments Summit 2024」のスピーチでなされたものだ(発言の全文)。
テドロス事務局長は、新たなパンデミックに備えるための「パンデミック条約」の合意を阻んでいる障害の一つとして、「The second major barrier is the litany of lies and conspiracy theories about the agreement(2つ目の大きな障害は、「パンデミック条約」に関し、繰り返される嘘や陰謀論の数々です。)」と述べ、「嘘や陰謀論」の具体例として、「That it will give WHO power to impose lockdowns or vaccine mandates on countries;(「国際保健規則」はWHOに対し、各国政府へのロックダウンやワクチン接種を強制する権限を与えるものだ。)」との主張を挙げた。
問題の発言は、上記の後、WHOが各国政府の感染症対策に対して何ら強制力をもっていないことを明らかにする文脈でなされた。
発言の詳細は以下のとおりだ。
Let me be clear: WHO did not impose anything on anyone during the COVID-19 pandemic. Not lock downs, not mask mandates, not vaccine mandates.
We don’t have the power to do that, we don’t want it, and we’re not trying to get it.
Our job is to support governments with evidence-based guidance, advice and, when needed, supplies, to help them protect their people.
But the decisions are theirs. And so is the pandemic agreement.
It has been written by countries, for countries, and will be implemented in countries in accordance with their own national laws.
はっきりさせておきます。WHOはCOVID-19パンデミックの最中、誰にも何も強制していません。ロックダウンも、マスクの強制でも、ワクチンの強制もしていないのです。
我々にはそんな権限はありませんし、それを欲してもいません。我々はそのような権限を得ようともしていないのです。
我々の仕事は、エビデンスに基づいたガイダンスやアドバイス、そして必要であれば、物資を提供することで各国政府をサポートし、国民を守る手助けをすることです。
しかし、決定は政府が行うものです。そして、それは「パンデミック条約」でも同じです。
この条約は、各国のために、各国が作成したものであり、そして、各国の国内法に従って、各国で実施されるものなのです。
WHOの勧告に強制力は?
まず、ロックダウンやマスク着用、ワクチン接種について、WHOが何ら強制する権限をもっていない、というテドロス事務局長の発言は正しい。
ロックダウン等に関するWHOの勧告は、国際保健規則の第15条「暫定的勧告」(参照)に基づいて、WHOの事務局長が行うものだが、第1条の「定義」で、「暫定的勧告」は「非拘束的な助言」であると明記されている。
そもそも、国内における裁判所のように、国家に強制力をもつ機関が存在しない以上、国際条約等を強制的に守らせることは出来ない。あくまでも、国際世論の圧力や説得等で、各国が自主的に守らせることしかできないのが現実だ(参照)。
そのため、形式的な面から見て、「WHOは感染症対策について強制力」をもっていない、というのは当然のことだ。
ただし、WHOの推奨する感染対策に法的な強制力がなかったとしても、各国政府が、WHOの推奨する感染対策を採用せざるを得なかった、すなわち、「実質的に、強制されていた」ということはないのだろうか。
WHOの助言が単なるアドバイスに留まっていたのか、それとも推奨する感染対策を、事実上、強制するものではなかったか、という点も検証が必要だ。
WHOの情報発信
以下のとおり、WHOは、ロックダウンといった感染症対策の継続を強く求める情報発信を繰り返し行っていた。
ロックダウン等の行動制限について、2020年4月、テドロス事務局長は、「規制の緩和が早すぎると、ウイルス感染が致命的に復活してしまう」と、早期の行動制限緩和を行った場合、感染被害はさらに悪化すると警告している(参照)。
ではワクチンについてはどうだろうか。
2022年5月に発行された、コロナワクチン接種の義務化に関する文書では、「 (WHO) does not presently support the direction of mandates for COVID-19 vaccination(WHOは、現在のところ、新型コロナワクチン強制化に向かうことを支持していない。)」とする一方で、「ワクチンの安全性」等を考慮した上であれば、「Vaccination mandates can be ethically justified(ワクチン接種の義務化は、倫理的に正当化されうる)」場合があるとしていた(参照)。
マスクに関しても、テドロス事務局長は、「Even if you’re vaccinated, continue to take precautions to prevent becoming infected yourself, and to infecting someone else who could die..(ワクチン接種を受けたとしても、自分が感染しないように、また誰かが感染して死亡することがないように、予防措置をとり続けてください。)」と述べ、ワクチン接種後のマスク着用を求めていた(参照)。
以上の例のとおり、時には強い表現を使用して、WHOは、繰り返し、推奨する感染対策の実施を各国政府に求めてきた。
WHOは公衆衛生の権威であり、その情報発信に強い影響力があることは確かだろう。
各国政府の対策は強制されたか?
しかしながら、各国政府の感染対策が、(事実上であっても)WHOに強制された、といえる明確な事実は存在しない。
例えば、スウェーデンは、WHOの推奨にも関わらず、新型コロナ対策について、厳格なロックダウンは実施しなかった(参照)。
また、イギリスは、2022年2月の段階で、いち早く、新型コロナウイルスに関する規制を全廃した(参照)。
反対に、日本は、「オミクロン株」の出現を受けて、原則として外国人の入国を停止する、厳しい対策をとった。
この対策に対し、WHOの緊急事態対応を統括するマイケル・ライアン氏は、「ウイルスは国籍や滞在許可証を見るわけではない」、「疫学的に理解困難だ」と批判している(参照)。
以上のとおり、WHOの推奨する感染対策を採用しなかった国もあり、反対に、日本のようにWHOが推奨するよりも、厳しい措置をとる場合もあった。したがって、あくまで、各国の感染対策は各国政府によって決定されたものであり、実質的にWHOに強制されたとも言えない。
一方で、WHOは国連システムの中で保健衛生に関するリーダーシップを担っており、WHOの勧告が、各国政府の政策に強い影響力をもつことは疑いようがない(参照)。そうした状況を踏まえれば、テドロス事務局長の発言は「正確」とまでは言えず、「ほぼ正確」と判定する。
補足意見
記事の最後に書いたように、WHOは国連システムの中で保健衛生に関するリーダーシップを担っており、WHOの勧告が、各国政府の政策に強い影響力をもっていることは間違いない。
InFactでは、その点を考慮し、「各国の感染対策が、事実上、WHOに強制されたもの」であるとして、問題の発言を「ミスリード」とする意見もあった。しかし、上述のとおり、あくまで各国の感染対策は各国の決定に基づいて実施されている。
事実検証を目的とする「ファクトチェック」としては、「『感染対策をWHOが強制した』とまでは言えない」というのが、InFactの最終的な結論だ。
もっとも、テドロス事務局長のこの発言が、WHOの権限強化を目指す「パンデミック条約」の締結を促進するための文脈で述べられたものであることには注意しなければならない(参照)。コロナ禍におけるWHOの責任を曖昧にしたままで、WHOの権限強化は許されない。
ファクトチェックは政策の是非を議論するものではない。ただ、ファクトチェックから離れて、コロナ禍でWHOが推奨した感染対策の是非や、情報発信のあり方については厳格な検証が必要なことは言うまでもない。
(冒頭画像:「the World Governments Summit 2024」でスピーチするテドロス事務局長)
(田島輔)
(編集長追記)
ファクトチェックを私たちが始めた当時、ある著名な識者から「事実を積み重ねても真実は見えない」とする言葉を投げられたことがあります。今回の「テドロス発言」をそう解釈し、この発言を「誤り」と指摘する人達は少なくないでしょう。また、ファクトチェックは権力を批判するためのものとの考え方から、WHOという権力を是認するようなファクトチェックはすべきではないという意見も有るでしょう。そういう声が有ることをInFactは無視するわけではありませんが、それでも事実の積み重ねと、立場によらない事実の追求を目指したいと考えています。
今回のファクトチェックは記事内で書かれている通り、InFact内で議論を重ねました。その結果を踏まえたファクトチェックだという点、ご理解を賜りたく宜しくお願いします。