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【LIFE SHIFT】”武道家”社長が乗り越えた企業の再建

【LIFE SHIFT】”武道家”社長が乗り越えた企業の再建

人それぞれ、人生で様々な決断を下す。それは大きな賭けの時も有れば、小さな転身という時も有る。或いは、その時は小さな転身だと思ったものが、振り返ると大きな転機になることもあるだろう。その一人一人の人生を見つめるLIFE SHIFT。これまで幻冬舎のGOETHEで連載していたが、幻冬舎の了解を得て、インファクトで連載することとなった。その最初は、誰もが知る有名企業の社長が主人公だ。(取材・文/立岩陽一郎 写真/アデランス提供)

10月半ば、私はその会社を訪ねた。会社は新宿御苑のビル群の一角にあり、ぱっと見ただけでは素通りしてしまうような地味な建物だった。

「これがあのコマーシャルで有名な会社の社屋かぁ・・・」

そう思って応接室に入った。

人の人生の転機を描いてきたLIFE SHIFTだが、今回はいささか趣を異にする。これまではある組織を離れる決断をした人を取り上げてきた。今回は違う。会社の現役社長だ。しかも、その会社は誰もが知っている会社だ。

直ぐにこのLIFE SHIFTの主人公が応接室に入ってきた。津村佳宏(57才)。あのアデランスの社長だ。そう、あのウィッグ(かつら)の会社、アデランスだ。アメリカを始め、世界19の国と地域にも関連会社を持ち、毛髪関連企業としては、世界一の売上高だ。

極真空手からヘアデザイナーへ

2017年に社長に就任した津村のもと、美容、ヘルスケア、さらにコロナ感染拡大を機に公衆衛生事業に乗り出すなど、アデランスは急速に変貌を遂げようとしている。

がっしりした体格にダブルのスーツを身に着けているので、強面に見える津村。その横に控えめにたたずむ広報担当者。

まずは簡単に津村の経歴を聴いた。1963年広島市で生まれ、高校までを過ごしたという。どんな学生だったのか問うと意外と言えば意外な答えが返ってきた。

空手をやっていました

空手?

ええ、極真会です

あの「ケンカ空手」と言っても、知らない人にはわからないだろう。私の世代より前なら、梶原一騎の原作の「空手バカ一代」をバイブルの様に読んでいた人は多い。創始者の大山倍達はヒーロー。正拳でのレンガ割りや蹴りでバットを折るなどは、極真空手で広まった様に思う。つまりある時代の強さの象徴だった。

大山総裁にもお会いして指導を受けたことが有ります

幼少期からわんぱくだったという津村は、もともとは「強くなりたい」という思いで空手を始めたが、そのうち空手が「精神修養の場」になっていったという。そして、それが自分の将来につながっていく。

父親が書道家だったこともあって、書道もやっていました。それと、芸術にも興味があった。そういう何かをつきつめていくような道に進もうと考えた

大阪の辻調理師専門学校に行くことも考えたという。そんな時、アデランスがヘアデザイナーを募集するという案内を学校で見た。アデランスは既にウィッグの会社として広く知られていた。そこでヘアデザイナーを募集するという。理容の免許もとれ、インターン制度も充実しているという。大阪に出て受験した。

「空手バカ一代」がいきなりヘアデザイナーですか?

そう問うと、「ええ」と真面目な表情で答えた。

アデランスで理容を覚えるのだが、それはウィッグを着けた人へのケアとして行うものだ。当然、ウィッグの毛は伸びない。しかし地肌の毛は伸びる。それを定期的に調髪する必要があるからだ。ウィッグの手入れも必要だし、同時に頭皮、地毛の手入れも必要になる。そうしたことを覚えなければならない。

それを入社後の3か月の研修で覚える。そして通信教育で理容師の技術を学びながら各営業店に配属される。アデランスではサロンへの配属と言う。因みに、現在は、理美容師の有資格者を採用しているとのこと。

私はサロン行きが遅れたんです。研修所の教官に、『君らの中で5人は技術が足りない』と言われて、そのうちの1人だった・・・

これが空手で培った負けず嫌いに火をつけた。「必死でやった」結果、一か月後に研修所を出てサロンへの配属となる。面白いのは津村がその遅れを胸に刻むところかもしれない。アデランスでは、社員の技術向上を目的に技術競技大会を毎年開いている。津村はその大会で、いつか優勝すると密かに誓う。津村は言わなかったが、そう語る津村から、どこか空手の匂いを感じた。武道家の修養の感覚だ。しかし、そもそも同期の中でトップを走っていたわけではない。なかなか道は険しいだろう。

最初の配属は東京本店。営業もやりながら技術を磨く日々が続く。次は埼玉県の各営業店に研修で回り、川越店に配属された。

兎に角、お客様のためと思って一生懸命働いた

その姿が認められ、北海道の北見支店に支店長代理として赴任。支店長は不在で、まだ入社3年目の21歳だったが3人支店で事実上のトップとなった。

アデランスのウィッグはオーダーメイドだ。どういう仕事か尋ねた。

客に合った設計図を作る作業です

氷点下20度での経験と技術へのこだわり

前の部分をどうするか?つむじの部分は?毛の長さをどうするか?それを検討しながら設計図を作っていくのだという。サロンでは客のプライバシーを守るためにブースを設けて対応する。家に呼ばれることもある。

北見店に勤務して間もないころ、紋別からウィッグの問い合わせが入った。「はい。うかがいます」と即答したのは、オホーツク海沿岸の冬を知らなかったためだ。距離から見て「夜7時にはうかがえると思います」と言って店を車で出た。暫くして雪がひどくなってきた。スピードを緩めての走行となる。携帯電話など無い時代だ。公衆電話を見つけては平謝りの電話を入れる。そして日付が変わって午前2時にやっと依頼主の家に到着。呆れられたが、熱心に説明をした結果、ウィッグを購入してくれた。

しかし大変だったのはその後だった。午前3時に依頼主の家を出るが、オホーツク海沿いの道で車がスリップ。雪に車輪をとられて車が動かない。外は氷点下20度。車の往来は無い。

「これは死ぬんじゃないか」

そう思ってどのくらい待ったかわからない。やっと1台のトラックが来た。そのトラックがワイヤーで引っ張ってくれ、北見市まで先導してくれた。

名前も知らないトラックの運転手さんでしたが優しい方で。あの人がいなければ私の生命は失われたかもしれません

津村は北見で懸命に働き、圧倒的な営業成績をおさめた後、川越店に店長で戻る。その後は熊本店、町田店でも店長を務めるのだが、その間も技術大会に出続けている。そして熊本店で準優勝。店長として店を切り盛りする中で、技術にこだわり続けた結果だった。面白いのは、それで満足しないところだろう。町田店長の時、念願の優勝を果たしている。

店長で大会に出るっていうのは普通なのか?

そう尋ねると隣に控えた広報担当者は、笑みを浮かべた。しかし津村は真面目な表情を崩さずにこう言った。

出てもいいんです

その後、津村は横浜店長を経て本社営業部で課長となる。いよいよアデランスの経営の中枢に入っていくわけだが、そこでも技術へのこだわりが続いている。

まず手掛けたのは『ヘア・サポート』の方法をリニューアルしたことです

ウィッグは売れば終わりということではないとは私も言われればわかる。それは前述したメインテナンスが必要だからだ。そういう話かと思ったら、それだけではなかった。

育毛です

新たに育毛にも力を入れる中で、そのサポートの仕方を改めたという。その詳しい中身はアデランスに問い合わせて欲しいが、津村はリニューアルについて1つ、こだわった。

現場に技術を徹底するためには、各営業部のトップに徹底しないといけない

それまでは現場の人間に行っていた教育を、各営業部のトップである営業部長に行うことを徹底した。異論も有ったが、店長になっても自ら技術競技大会に出続けた津村からは当然の判断だった。

自分が学んでやらないと、下の人間にやれと言ってもだめなんです

津村は、まるで「朝起きたら歯を磨くでしょう」・・・とでも言うかの様に口にした。津村の技術へのこだわりには武道家的な匂いを感じると書いたが、その徹底ぶりは別の面にも表れる。その後、社内で要職を歴任する中で、「これからの経営を考え、きちんと勉強したい」と早稲田大学人間科学部に入学している。津村は43才だった。

100%のEラーニングでしたが、それでも卒業に5年かかりました

津村は言った。私も、NHK記者時代に「100%Eラーニング」の放送大学で修士号をとっているが、正直、かなり大変だった。パソコン上で説明されても、仕事で疲れた頭にはなかなか入らない。疑問が有っても、目の前の先生は遠い存在だ。授業が終わって先生をつかまえるということもできない。その大変さはやはり経験していないとわからない。

「仕事の合間ですから、大変だったでしょうね?」

そう問うと、「まぁ、そうでしたね」とサラリと言った。

外資系投資会社による経営

こう書くと順風満帆な津村・・・という感じだが、この時期にアデランスは激震に見舞われている。投資会社の登場だ。外資系投資ファンドがアデランスの株式30%を保有。筆頭株主として株主総会での委任状争奪戦にて経営権を取得する。

2009年、外資系ファンドが招聘した外部のプロ経営者と呼ばれる役員が次々と登用される。

津村は、「短期的な利益確保が旗印となり、新潟の生産本部や物流センター、店舗、人員など大切なリソースを次々に閉鎖や売却し、社内は混乱した」と当時を振り返る。

アデランスの強みであった、きめ細かいアフターメンテナンスサービスを高めるための社内認定試験や技術競技大会がコスト削減を名目に中止となった。「社員のプロフェッショナルとしてのプライドは傷つき、サービス向上へのモチベーションも低下していった」という。津村は当時をこう分析した。

製造、物流、教育など、これまで大切に培ってきたアデランス流の仕組みが崩れてしまった

このような状況から創業以来、黒字を続けてきたアデランスが2年連続の赤字となる。

財務諸表だけ見ての経営の限界だった

津村は述懐した。しかし不平を言っている暇は無かった。津村は営業及びマーケティングの責任者になる。事実上の建て直しの責任者だ。

みんな、必死だった

2014年、その状況が変わる。外資系ファンドが株を売却。それを境に、役員をプロパー体制に戻した。そして創業者であり会長の根本信男から直ぐに要請が来た。再建に向けて津村は代表取締役専務となり、間もなく副社長となる。そして2017年、津村は決断する。株式の非公開化だ。

会社を総点検し、ファンド経営の傷があり、これから真のグッドカンパニーにする事を真剣に考えた時、今は、短期的収益や株価より、中長期的に安定する土台を再構築しなければならず、また現状の業績から見ても配当も出せず、株主様に迷惑がかかる。それなら非公開化して会社の建て直しに専念すべきと考えた

その非公開化が2017年2月。その翌月に社長に就任。名実ともにアデランスの舵取りの責任者となる。社長になった時、どういう気持ちなのかと問うてみた。

国内だけではない。海外も含めた社員と社員の家族。全部の責任が自分にかかってくる

専務、副社長時代から実質的な舵取りを担っていたであろう津村は、かみしめるようにその言葉を紡いだ。

起業の存在価値とは何か

これまでの半生でLIFE SHIFTはどれか?そう津村に問うてみた。

最初は、営業本部の課長

育毛サービスのヘア・サポートをリニューアルした時のことだ。

次は、2009年に投資ファンドが経営に乗り出した時

それは、津村にとって反面教師になったという。反面教師がLIFE SHIFTというのが武道家、否、津村らしい。

企業は資本主義の中で利益を出していかねばならない。それは間違いない。ただし、その際に、企業の存在価値とは何か?アデランスの存在意義・存在価値とは何か?それは考えないといけない

アデランスの存在意義・存在価値・・・それは津村には明白だった。

世界中で毛髪で悩んでいる方々が多くいる。そういう方々を笑顔にする

それが津村が考えるアデランスの存在意義・存在価値だ。それは真冬の夜中のオホーツク海沿岸で死にそうになったり、技術大会で仲間としのぎを削る中で、津村に刷り込まれた信念だ。そしてそれは、外資系投資ファンドの経営が壁にぶつかる中で、更に確信に変わった。

私は、外資系ファンドのやり方を反面教師としてたくさんのことを学びました。まず、株主ではなく、社員の仕事へのやりがいを高めることを最優先し、取引先とのパートナーシップ強化をしていくことで初めて良い商品、良いサービスとなり、お客様の満足度向上、笑顔を作り出せると確信しました。そのことで利益も増え、株主にも満足いただけるのです

津村に最後に尋ねてみた。ハゲやヅラという言葉が人を揶揄する言葉として使われるケースは多い。そういう点をどう思うのか?

ハゲやヅラなどの言葉は、ハラスメントに属する言葉だと思うんです

津村は一瞬考えてから言った。そして続けた。

これは一般的に脱毛に悩む方は成人男性だけでなく、小さなお子様の円形脱毛症や抗がん剤治療薬による脱毛、キズやヤケドによる脱毛など、病気やケガなどで多くの方が脱毛に悩まれています。だから、ハゲやヅラという言葉はその対象者の方々をどれだけ傷つけているか、それは社会全体で考えて欲しいんです

恐らく、社長になるまでの間に、多くの場面でそうした心無い言葉を耳にしてきたのだろう。力を込めて、だが、感情を抑制しながら津村は言った。

予定時間を超えた取材の中で多少、変化球も投げてみたが、津村は最後まで感情の起伏を見せずに答えた。強い意志を持ちつつそれをストレートに出さずに冷静に語る津村。その姿に、武道家を見た。

(このLIFE SHIFTは様々なジャンルで自らの生き方を模索或いは実践している人物に焦点をあてるものです)

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