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【新田義貴のウクライナ取材報告⑧】~聖ウラディミール大聖堂での礼拝~

【新田義貴のウクライナ取材報告⑧】~聖ウラディミール大聖堂での礼拝~

3月中旬、キーウをめぐる攻防は膠着状態が続いていた。首都陥落を目指し進撃を続けてきたロシア軍の動きはイルピニ川の向うで止まっているように見えた。首都に入った新田義貴の現地リポートは続く。(取材/写真:新田義貴)

戦力で圧倒的に勝るロシア軍が瞬く間にキーウを落とすだろうとしていた大方の軍事専門家の予想に反し、ウクライナ軍がかなり善戦しているとの見方が広がり始めていた。

そんな中で、キーウにはまだ200万人の市民が残っていた。彼ら、彼女らはどのような思いで暮らしていたのか?

町には相変わらず人影は少ない。戒厳令下のキーウでは外出は午前6時から午後8時まで。夜間は屋内にいても灯火管制で空爆の目標とならぬように部屋の電気を暗く保たねばならない。

そんな中、3月15日午後8時から17日午前6時まで、34時間の外出禁止令が突如発令された。僕たちジャーナリストもこの間は一切外での取材活動ができない。救急車両など特別な許可を持っている者以外は町を歩くことも許されない。通訳のイヴァンに聞くと、ロシアの工作員が町に潜入しているので、不定期にこうした長時間の外出禁止令を出すことで彼らの動きを封じ込めると同時に、摘発を行いやすくするのだという。

日中、アパートの窓から外を眺めると確かに人の姿は見当たらない。町全体がゴーストタウンと化したかのようだ。その時だった。アパートの前の芝生に男女の姿が見えた。話を聞いてみたいと思いすぐにその場に駆け付けてみると、中年の男女3人が犬と戯れていた。向いのアパートに住む夫婦と妹だという。ラブラドールリバーなど3匹の犬にボールを投げて遊ばせている。外出禁止令だが大丈夫なのかと問うと、こう答えた。

「自分のアパートの敷地だから大丈夫です。戦時下ですが、人間として最低限の文化的な暮らしは守りたいのです。それがロシアに対する私たちの闘いです。」

ロシア軍が迫る中でも人々は日々の生活を守ろうとしていた

ウクライナの人々は驚くほど犬好きだ。戦時下でも犬の散歩をする人をよく見かけた。犬を連れて避難する人も少なくない。閉まってはいたが街中には多くのペットショップを見かけた。そして、コーヒーを心から愛していることもキーウの人々の特徴だ。ほとんどの店が閉まっている中で、ごくたまに道端のコーヒースタンドだけが営業していた。みな行列を待ってでもコーヒーを買い求め、その場で飲んで行く。支払いはほとんどがクレジットカードだ。このように、彼らは僕らと何ら変わらない生活をしていた文明社会の住民なのだ。スマートフォンや車を所持し、多くが企業に勤めマイホーム購入を夢見る人々だ。

今回の戦争はそうした人々が暮らす国に突然軍事進攻が行われたという点で、私がこれまで取材してきた中東やアフリカで行われてきた紛争とは様相が大きく異なる。

200万の人々を支える食糧や物資はどうなっているのか?

ドニエプル川を渡ってすぐの大型スーパーを訪ねてみた。驚いたことにこうした大型店は時間を短縮しているものの、営業を続けていた。

スーパーは短縮営業を続けていた

戦時統制で酒類の販売は禁止だが、それを除けば店内に商品は潤沢にあるように思えた。唯一パンだけが売り切れていた。もちろん戦争前に比べれば物資は不足しているが、かといって人々の生活を圧迫するような混乱は起きていなかった。

ロシア軍は東と北からキーウに迫っていたが、いまだ西と南のルートは確保されており、そこから物資は絶え間なく補給されているのだ。このルートは物資だけでなく避難民の往来、そして西欧諸国から絶え間なく供給される武器弾薬を運ぶ補給路として効果的に機能しているように思えた。

スーパーを出ると目の前は川沿いの公園になっていた。戦時下だというのにベンチに座って語らうカップルや家族連れの姿があった。ドニエプル川の東岸から対岸のキーウの町を眺めると、そこには戦争が起きているとはとても思えない穏やかで美しい風景が広がっていた。世界遺産にも指定されている教会など黄金の屋根が光り輝き連なっている。

ドニエプル川の東岸からきーふを眺めた

そのうちのひとつ、聖ウラディミール大聖堂を夕方訪ねた。中に入ると薄暗い聖堂の壁や天井に、めまいがするほど美しい「聖母マリアと幼子イエス」のフレスコ画が描かれていた。皮肉なことにロシアの高名な画家によって描かれたものだという。

礼拝は厳かに始まった

このウクライナ正教の権威ある教会でたたずんでいると、やがて厳かな礼拝が始まった。正教の礼拝は聖職者を中心に香炉などの道具を使って決められた儀式を行う。そしてその中に聖歌が歌われる。この日は20人ほどの信者が胸の前で十字を切りながら祈りを捧げていた。信者のひとりに話を聞いた。

「祈りは日常生活の一部です。戦争が来たからといって欠かすことはありません。戦争が一刻も早く終わり、人々の苦しみが取り除かれることを祈りました。」

戦乱の中で本当の意味での救い主イエス・キリストの到来を待ち望む人々。僕はそこに悲しいながらも限りなく美しい人間本来の姿を見た気がした。

(つづく)

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