●その日、何が起きたのか?
冀は事件当日、車いすでバスターミナルに向かい、午前6時半の長距離バスで北京に向かった。そのバスの運転手に話を聴くことができた。彼は、冀のことを覚えていた。
「自分の同僚が弁当を買いに行ってやったよ。半分くらい食べていたね。朝早いから腹が減ったのだろう」。
犯行に向かう冀に変わった様子は「特になかった」という。北京までの所要時間は8時間以上。農村から北京に近づくにつれ、ぽつりぽつりとビルが増えていく窓の外の景色を見ながら、冀は、自らの命を危険にさらしてまで声を上げることだけを考えていたのだろうか。
冀が半身付随にされたと主張している広東省の東莞市政府は、冀が空港で爆発事件を起こした翌日、「冀が治安要員に殴られたとする問題の状況報告」という文書を急遽発表した。暴行事件から8年後のことである。
その内容は、冀が度々陳情に来たことなどは認めているものの、治安要員が殴ったかどうかについては、「目撃者なども無く証拠はない」ので、「賠償請求などは認められなかった」としている。