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模擬原爆:原爆を落とす訓練のためだけに一般人に落とされた爆弾①

70年前の8月に広島と長崎に落とされた原爆によって、20万人以上の人が死亡したことはよく知られているが、米軍が原爆を投下するために日本本土で何度も爆撃訓練を行っていたことはあまり知られていない。アイ・アジアでは、原爆という非人道的な兵器を使うために行われた米軍の訓練に注目し、研究者の協力を得て、その全容をシリーズで詳述する。(アイ・アジア、鈴木祐太)

自身の体験を話す龍野繁子さん
自身の体験を話す龍野繁子さん

「あれは戦争が終わる直前の・・・1945年7月26日9時すぎのことでした。米軍の爆撃機が1機だけ飛んできて、偵察機かなぁと思ってたら爆弾を落としたんです」
それから70年経った大阪市の住宅街で、90歳になる龍野繁子さんはその時を振り返った。

「教師だった私は、生徒と工場で働かされていたんですが、凄い爆発音とともに、大きな石が工場の屋根を突き抜けて1階に落ちてきました。幸いにも生徒たちや従業員は無事だったんですが、工場の外は瓦礫の山になっていました」

爆弾が落ちたのは、大阪市東住吉区田辺本町(現田辺1丁目)だった。中学校の教師だった龍野さんは勤労動員で広野国民学校(現・市立摂陽中)の子どもたちとともに工場にいた。そこは着弾地点となった料亭「金剛荘」から150mしか離れていなかった。

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