9月17日の初公判当日。警察車両に先導されて、救急車のような医療用車両が北京市内の裁判所に到着した。冀は、その医療用車両からストレッチャーに乗せられたまま、警察官らの手を借りて入廷した。
午前9時という早い開廷時間だったにも関わらず、裁判所前には、冀に同情を示す市民たちが集まった。彼らは、混乱を防ごうとする警察官に囲まれながらも「冀は無罪!」などと大声で叫び続けた。集まったメディアに対し、人々は、自分たちも警察の捜査や土地の開発業者によって不当な扱いを受けていると訴えた。
●事件前に書かれたブログ
空港で手製爆弾を爆発させた冀が、事件前にブログを記していたことが明らかになった。それによれば、事の始まりは2005年に遡る。当時、冀は、南部の広東省に出稼ぎに出ており、バイクタクシーで生計を立てていた。ある日、客を乗せて走っていたところ、パトカーに追いかけられた。冀は、停止せず走り続けたが、待ち伏していた治安要員に殴り倒され、暴行を受け、その結果半身付随にされた、という。
治安要員とは、警察の捜査や警備など手伝う補助組織だ。冀は、地元政府に陳情に行き、この事件を捜査してくれるよう頼み込むが聞き入れてもらえなかった。また、地元政府に対し、損害賠償の裁判を起こすが、冀が殴られたとする証拠は不十分として、認めてもらえなかった、という。
ブログには、冀が色白でひ弱そうに見える肉体を晒し、痣か床ずれなのか、臀部や脚にできた大きな赤い爛れがよくわかる写真も掲載されていた。その内容は中国の一部メディアでも報道された。裁判に集まった人たちは、冀が爆発事件を起こしたのは、自分の健康な体を奪った暴行事件の事実を明るみに出したかったからなのだ、と理解したのだ。