太栄によれば、冀は、窓際に置かれたベッドに横になり、コンピューターでゲームをして過ごす時間が多かったという。おそらく、この窓際に横になりながらブログを綴り、自ら窮状を外の世界に訴えようとしたのだろう。彼のコンピューターは警察にすでに押収されて今は無く、電話線と電源を引く為の延長コードがだらりと床に落ちていた。
冀は聡明な子供だった、と太栄氏は言う。しかし、半身不随となって、実家に戻ってからは、塞ぎこむことも多かったようだ。
「あんなに若いのに、走ることもできない。イライラしないはずはない。機嫌が悪い時には、私と言い争いになり、私が話を聞かないで出てってしまうと、ここで、一人で泣いていました」
しかし、冀は父との争いは努めて避けていたという。
「私が食事も作ってあげなければいけないし、水も汲んでやらなくてはいけないし、便も出してやらなければならないから」
冀には、結婚を考えたガールフレンドがいた。しかし、冀が半身付随になったことを知って、離れていってしまった、という。
太栄は、息子が密かに爆弾を作っていたことなど、思いもよらなかったという。しかし、冀が言った言葉を今も覚えている。
「自分が家にいなければ、(父さんが)自分を押して行く必要がない」。
太栄は「どうやってお前が、家からいなくなることができるのだ」と言葉を返した。そのやり取りは、冀が車椅子で北京に向かい爆発事件を起こす数日前だったという。
<<執筆者プロフィール>>
宮崎紀秀(norimiyazaki@outlook.com)
元日本テレビ記者。警視庁クラブ、調査報道班などを経て中国総局長。中国滞在は約6年。北京在住。