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【新田義貴のウクライナ取材メモ2024③ ロシアに連れ去られた子供たち】

【新田義貴のウクライナ取材メモ2024③ ロシアに連れ去られた子供たち】

軍事侵攻から2年を迎えるウクライナで大きな社会問題になっているのが、戦時下における子供たちの心の問題だ。なかでも、占領地からロシア本国に連れ去られた子供たちの現状は分からない部分が多く極めて深刻だ。(取材・写真/新田義貴)

こうした問題に果敢に取り組んできたNGOがある。2014年に設立された「セーブ・ウクライナ(SAVE UKRAINE)」だ。キーウに到着して3日目の2月15日、市内にあるこの団体の事務所を訪ねた。風邪で体調を崩しているという代表のミコラ・クレバに代わって、法務主任のミロスラバ・ハルチェンコが取材に応じてくれた。

団体の活動内容は多岐にわたる。戦闘地域からの住民の保護、安全地域でのシェルター収容、食料支援やカウンセリングなどだ。その中でも特に力を入れているのが、占領地で暮らす子供たちを保護し、ロシアに連れ去られた子供たちを奪還する活動だ。

「占領地に暮らす子供たちはロシアへの忠誠を誓わされ、ウクライナ語を話すと殴られることもあります。安全な場所で豊かに感性を育んでいくべき多感な時期に、彼らは普通の子供の生活を送れないでいるのです。」

ミロスラバは時おり涙を流しながらインタビューに答えてくれた。子供たちの状況に思いをはせていたのかもしれない。

事務所の壁には占領地で保護した子供たちの描いた絵が飾られていた。意外に思ったことがあった。私自身、紛争地で子供たちが描いた絵を世界中で見てきた。それらは戦車や兵士、死体などが描かれているものが多かった。人権団体やNGOが子供の心の傷を強調し募金を集めるためにこうした絵をあえてメディアに見せようとするケースも少なくない。ところが、この日見た絵のほとんどは花や動物、家族など希望を感じさせるものだった。この団体では、子供たちのケアがうまくいっていることを示しているのかもしれない。

別れ際、ミロスラバに「ロシアに連れ去られその後奪還された子供に会えないか」と聞いてみた。戦争が始まってから、ロシア軍占領地域から本国に連れ去られた子供はウクライナ政府の発表では1万9千人以上に上るという(2024年2月現在)。団体では親たちと協力しながらこれまでに276人の子供たちをウクライナに連れ戻してきた。こうした子供たちに会ってじかに話を聞いてみたい。そういう思いだった。

彼女は「ちょっと待っていて」と別室に消え、しばらくすると戻ってきて住所を書いた1枚のメモをくれた。所在地は公表できないが、団体が運営する子供たちのリハビリ施設だという。

翌日、キーウ郊外にある施設を訪れた。「希望と癒しの家」と名付けられたこの2階建てのアパートのような建物には、占領地から保護された子供たちと、ロシアから奪還された子供たち50人ほどが暮らしているという。概観の撮影は安全上の理由で控えるよう言われた。それは納得できる要請だった。

中に入ると、廊下に子供たちが大勢集まっていた。聞けば、これから近くの運動場に乗馬を体験しに行くのだという。子供たちはみな明るく笑顔で走り回っていて元気そうだ。

子供たちが出ていった後、施設のスタッフに案内され2階の個室を訪ねた。ドアを開けるとポリーナと名乗る中年の女性が出迎えてくれた。6畳ほどのワンルームにキッチンとベッドとソファーが置かれている。ベッドの上に、男の子が寝転がってスマートフォンのゲームで遊んでいる。男の子はボリーナの孫で、名前はニキータ。10歳になるという。ニキータはウクライナ南部のヘルソンで暮らしていたが、母親がエジプトに出稼ぎ中にロシア軍に占領され、父親と引き離されクリミア半島にあるロシアが運営する施設に送られたという。

「『ロシアは子供たちを盗んでいる』というSNSの投稿で孫の写真を見つけてショックでした。その後ロシア本国のクラスノダールの施設に移送されたことがわかりました。」

ポリーナは孫をなんとか取り戻そうとSAVE UKRAINEに連絡し、出生届やDNA鑑定など様々な書類を提出してようやく8か月後にニキータを帰還させることができたという。この施設に来てまだ5日目だという。

ニキータに話しかけてみる。

Q「ロシアでは何をしていたの?」

A「何もしてないよ」

Q「ロシアは楽しかった?」

A(首を横に振る)

ポリーナによれば、会わなかった8か月でニキータの性格はすっかり変わってしまったという。

「彼は神経質で常に苛立っています。いやなことはやろうとしません。以前はそうではありませんでした。帰ってきた直後からずっとこんな感じで戸惑っています。」

セーブ・ウクライナではこれからゆっくりとニキータにカウンセリングを行い、彼がまた元の明るい少年に戻れるようサポートしていく計画だという。

乗馬に行っていた子供たちが戻ってきたというので、1階にある娯楽室を訪ねた。女の子たちが粘土で料理を作るままごとをして遊んでいた。男の子たちはゲームに夢中だ。僕が日本人だとわかると、女の子たちは「SUSHI」を握ってご馳走してくれた。

この部屋にいる子供たちの多くはロシア軍占領地から保護され、ロシア本国に連れ去られてはいない。そこに、先ほどのニキータがドアを開けて入ってきた。祖母のポーリンからは、彼はほとんど部屋に閉じこもっていて他の子共たちと遊ぶことはないと聞いていたので、驚きながらも注意深く見守った。

ニキータは部屋には入ったものの、持ってきた自分のぬいぐるみに話しかけてひとりで遊んでいて誰とも交わろうとはしない。他の子供たちもそんなニキータに話しかけることを躊躇しているようだ。10分ほど経っただろうか。ニキータは突然立ち上がり、誰にも挨拶もせずにドアを開けて走って出て行ってしまった。

それは彼の心の傷の深さを現した行動と私には思えた。「とても切ない気分」としか言いようのない思いで胸を締め付けられた。

長引く戦争の影で、今日も子供たちが心に傷を負っている。このような事態が続けば、戦争が終わった後にも国の将来に暗い影を投げかけるだろう。戦争という暴力のいちばんの被害者は子供たちだ。こうした子供たちのためにも、一刻も早い戦争の終結が必要だと強く感じた。

ここで原稿を終えようとしたが、その後の4月中旬に、帰国した私に通訳のセルヘイからメッセージが届いた。寝具やおもちゃなどの支援物資を持って、再びニキータの元を訪れたのだという。2ヶ月ぶりに会うニキータは以前に比べかなり明るく積極的になり、笑顔も見せるようになっていたそうだ。きっとポリーナやNPOのスタッフが親身になって彼と向き合い、少しずつ心を解きほぐしていった結果なのだろう。嬉しい報告に僕の心の重荷もひとつ解けた思いがした。ニキータの将来が明るいものとなることを心より祈りたい。

(つづく)

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