事故後の福島第一原発で溜まり続ける放射性物質を含んだ処理水の問題に対処するため、政府は二次処理を経て海洋放出を行う方針を決定。決定には国連の「特別報告者」が懸念を表明したが、そのことを報じた共同通信記事の見出しが物議を醸している。(大船怜)
【不正確】 「深い憂慮」を表明したのは国連の組織自体ではなく、国連人権理事会によって任命された特別報告者である。特別報告者の意見は間接的には国連の意思や理念を反映しているとも言えるが、その立場は独立性が強調されており、国連やそれに属する機関の意見を代表しているわけではない。
福島第一原発で発生した汚染水は、放射性物質を取り除く処理を行ったうえで現在敷地内のタンクに貯蔵されている。日本政府は先日この水をさらに二次処理した後に海に放出して処分するという方針を固めたが、このことに対し国連の3人の特別報告者が連名で懸念を伝える意見を公表した。
共同通信の記事はこの発表について伝えたもの。副見出しや本文の記述を見れば「深い憂慮」を表明したのは国連という組織そのものではなく「特別報告者」であることが読み取れるが、最も目立つ主見出しにおいて「国連」を主語としていることから、ネット上では「見出し詐欺」といった批判が多数あった。
記事の見出しは適切だったのか、特別報告者と国連の関係を見ながら検証する。
特別報告者とは
国連の特別報告者は正式には「人権特別報告者(Special Rapporteur on the Situation of Human Rights)」と呼ばれ、ワーキンググループ(作業部会)と共に、国連人権理事会のもと人権に関する調査・報告を行う「特別手続き(Special Procedures)」という機能を構成する。
国連人権理事会により任命された個人の独立専門家で、特定の国における人権状況やテーマ別の人権状況について調査、監視、公表を行います。通常5名からなるワーキンググループと合わせて「特別手続き」と総称されます。いずれも個人の資格で任務につき、中立的に職務を遂行できるよう給与その他の金銭的報酬を受けません。特別手続には、国別とテーマ別の2つの手続があります。
(国連広報センターHP・用語集より。強調は筆者)
人権理事会の特別手続き(https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/SP/Pages/Welcomepage.aspx)は、人権擁護の最前線に立つ。人権侵害を調査し、個々のケースや緊急事態に介入する。独立した人権の専門家で構成され、テーマ別もしくは国別に人権に関する報告を作成し、助言を与える。
(同・特別手続きの説明より。強調は筆者)
特別手続きには個人(「特別報告者」もしくは「独立した専門家」と呼ばれる)と5人のメンバーから構成される作業部会とがある。五つの国連地域グループ、すなわちアフリカ、アジア、ラテンアメリカ・カリブ海域、東欧、西欧のそれぞれのグループから1名の5人で構成される。特別手続きは人権理事会によって任命され、個人の資格でその任務を果たす。「任務保持者(mandate holders)」の独立した地位はその任務を公平に果たすためには不可欠である。特別手続きの在職期間は最高6年と限定されている。
このように、特別報告者は国連の組織である人権理事会により任命されながら、その立場は独立性が強調されている。
日本の外務省も、今回の特別報告者の指摘に返答するにあたって次のような注記を加えている。
特別報告者は、特定の国の状況又は特定の人権に関するテーマに関し調査報告を行うために、人権理事会から個人の資格で任命された独立の専門家であり、同専門家の見解は、国連又はその機関である人権理事会としての見解ではない。
(外務省発表より)
特別報告者の意見の扱い
もちろん、特別報告者は国連と無関係な一個人というわけではない。上述の通り特別報告者を任命するのは国連の人権理事会である以上、間接的には国連の意思や理念を反映していると言うことはできる。また、その調査・報告内容は人権理事会や国連総会へも送られる。
最近では2021年2月、人権理事会の場で特別報告者がミャンマー軍による市民などへの人権侵害行為を報告。その後人権理事会として軍を非難する決議が採択されている(参考)。
一方で、過去には福島原発事故後の被曝リスクについて特別報告者と国連科学委員会が異なる見解を発表するなど、特別報告者の意見は必ずしも組織としての国連(またはそれに属する機関)の意見と一致するわけではない(参考)。
今回の海洋放出の決定に対しても、自治機関ながら国連システムの一員として協力関係にある国際原子力機関(IAEA)は、局長声明で歓迎の意向を示している。
国際法を専門とする中京大学教授の小坂田裕子氏は、2017年の文章の中で次のように述べている。
特別手続において特別報告者などに任命される人は、国家代表ではなく個人資格の専門家で、その活動には国家などからの独立性の確保が求められます。これにより手続の公平性が確保され、現に、1235手続では監視を免れていた大国も特別報告者の調査の対象となっています。特別報告者が個人資格の専門家で、その勧告が政治的機関である国連の見解とイコールでないことは、むしろ手続の政治化を避け、公平性を確保する上で重要なのです。
(国際法学会HP掲載「国連における特別報告者について」より)
結論
「深い憂慮」はあくまで特別報告者の意見であり、国連の組織自体を代表したものではない。このことは副見出しや本文では十分に説明されており、記事全体を読めば誤解の余地は少ないが、最も目立つ主見出しでの記述は記事全体の印象を左右する。
特別報告者は国連人権理事会によって任命され、その意見は国連やその下部機関の意思決定にも影響を与え得る。しかし、特別報告者はあくまで国連の組織とは独立した立場で、意見も必ずしも一致するものではないことから、この見出しは「不正確」であると判定した。