
ジャーナリストの新田義貴氏がイスラエルによる攻撃が続くレバノンの今を取材メモそのままに伝える新連載の2回目。(取材・写真/新田義貴)
5月26日。ベイルート到着の翌日、朝8時にフィクサーのアッバスが迎えに来た。フィクサーとは、外国人ジャーナリストの現地取材をコーディネートする専門家のことだ。
取材許可などの各種申請手続き、取材先のアポイントメント、アラビア語の通訳まで、海外取材には欠かせない存在である。アッバスは遠藤さんが2024年の取材でも雇った30代前半の若者で、今回も改めてお願いした。
キリスト教徒地区のレストランで朝食を取りながら打ち合わせを行い、これから12日間の取材項目と日程を話し合う。朝食は、ひよこ豆をペースト状にした定番料理ホムスに挽肉を加え、パンとサラダとともに食べる。コーヒーも含めてひとり700円ほど。物価の高いベイルートにしては、かなりお値打ちな価格だ。

(ホムスに挽肉を加えた朝食)
午前10時。海沿いの避難民キャンプを訪れた。広大な空き地にブルーのテントが整然と並び、85張のテントに185人が暮らしている。
ここには、イスラエル軍の空爆で被害を受けたベイルート南郊ダヒエ地区の住民が身を寄せていた。キャンプにはレバノン軍の兵士が治安維持のために駐留しており、軍の許可を得た上で撮影を開始した。
こうした紛争地の難民キャンプでは、これまでの取材経験から、避難民たちが積極的にカメラの前に立ち、自分たちの窮状を訴えるケースが多かった。しかしレバノンは事情が少し異なる。撮影に協力的な人がいる一方で、カメラを向けられることを極端に嫌がる人々も少なくない。
ダヒエ地区はもともとヒズボラの拠点であり、住民のなかにはヒズボラ支持者が多い。外国人ジャーナリストへの不信感を抱く者もいるだろうし、あるいはヒズボラの厳しい監視のもと、カメラの前では迂闊なことは口にできないと萎縮している可能性もある。
そんな空気のなか、自ら歩み寄ってきて取材に快く応じてくれた男性がいた。50歳のタクシードライバー、アフメドさんだ。小さなテントに親戚を含む大人5人、子供4人で暮らしているという。空爆でアパートは倒壊し、車も損傷したため仕事もできず、支援に頼るしかない生活が続いている。
アフメドさんをはじめ多くの避難民が、支援が十分に届いていないことへの不満を率直に語った。キャンプには仮設トイレの数も少なく、衛生状態も決して良いとは言えない。一方、イスラエルとの戦争の話になると、アフメドさんはヒズボラへの揺るぎない忠誠心を強調した。
「国土を守るためにヒズボラの戦士たちが勇敢に戦っているので、レバノンが降伏することは絶対にない。イスラエルがこれ以上攻撃を続けるならば、いずれハイファやテルアビブは火の海になるだろう。」
続いて、テントの前でコーヒーを飲んでいた家族に声をかけた。こちらもアフメドさん、30代のオートバイ配達員だ。妻と3人の幼い子供たちと5人でテント生活を送っている。赤ちゃんの姿もある。友人たちの支援でかろうじて生活をつないでいるという。これから夏に向けて気温がさらに上がるなか、テントでの暮らしは幼い子供たちにとって体への負担も大きく、危険ですらある。アフマドさんは、国際社会に向けて支援を強く訴えた。

(アフメドさんと家族)
「自分たちは世界から見捨てられています。アメリカもイスラエルの味方です。レバノンで何が起きているのかぜひ世界の人々に知ってもらい、私たちを助けてほしいです。」
取材のあいだ、上空ではずっと低く重い「ブーン」という不気味な音が鳴り続けていた。姿は見えないが、イスラエル軍の偵察ドローンだという。
イスラエルは昼夜を問わず首都ベイルート市内のいたるところへ自由にドローンを飛ばし、ヒズボラ関係者の動向を監視し続けている。それに対してレバノン側には有効な手立てがないようだった。常に敵から頭上を監視されながら暮らすという状況は、想像するだけで不気味だ。それでもレバノンの人々は、そんな日常にもすっかり慣れ切ってしまったように見える。
午後、キャンプに民間支援団体の車が到着し、避難民たちへの食糧の配給が始まった。子供たちにはお菓子も配られた。この日はイード・アル=アドハー(犠牲祭)、イスラム教の重要な祭日だ。預言者イブラヒムがアッラーへの忠誠を示すために自らの息子を犠牲として捧げようとしたエピソードに由来し、イスラム圏ではこの日、羊などを屠って食べ、親戚を訪ねて子供にプレゼントを贈る慣わしがある。避難生活を送る人々にも、祝祭の温かさを少しでも届けたい——そんな思いのこもった活動だった。

(救援物資の支給)
キャンプの取材を終えて、海岸へ出てみた。戦時下であることを忘れさせるように、のんびりと釣り糸を垂れる人々の姿が大勢ある。すぐそばのヨットハーバーからは豪華なクルーザーが沖へと出ていく。海沿いの高級レストランには、休日を楽しむ家族連れの姿も見えた。先ほどまで取材していた避難民たちの暮らしとの落差があまりにも大きく、しばらくのあいだ頭の整理がつかなかった。
戦争の日常化。そんな言葉が何度も頭に浮かんでは消え、初日の取材を終えた。
(つづく)

